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歴史ミステリー 柳生十兵衛を追う! 伝説の剣豪、その真実とは?

今回は歴史探偵の雲です。
2024年末に奈良の柳生街道を歩いたのですが、その時に柳生十兵衛の話題が出ました。

実は柳生街道の目的地の先に柳生の里があったのです

柳生十兵衛は天狗と戦ったとか里見八犬伝に出てくるので、フィクションの人物と思っていたのですが、一緒に山に登った友人のTUBU君が実在の人物で柳生新陰流の使い手であると言います。
江戸時代初期に、この地に新陰流を学びに大勢訪れたと。
徳川家光の師範である。
ゲームにも出てくる隻眼の剣豪である。
TUBU君は詳しいです。

ほぉ、面白い話ですね。

MIZHOさんがTUBU君に言います「気をつけて。noteやYouTubeで検証される。うかつなことを言えば恥をかくで。私はいつも細心の注意を払って喋っている」

雲(MIZUHOさん、私を全く信用してない。でも気になるので調べてみます)

歴史好きのTUBE君です
去年の3月に、TUBU君と初対面でした。一緒に山登ったときの写真です

往復20キロも歩いてヘトヘトになったのち、柳生十兵衛を調べてみます。
調べると天狗と決闘して倒したという伝説があります。
証拠の岩が一刀両断された状態で残っている。

ここで記事を閉じないでください!
天狗の存在をどうこういうつもりはありません。

TUBU君の話を整理します。

1.柳生新陰流の使い手の剣豪である
2.隻眼の剣士である
3.徳川家光の剣の師範であった

1.天狗を斬ったのは誰だ!? 一刀石伝説の真相

TUBU君は天狗を斬ったとは言ってませんでしたが。
まず、最初に引っかかったのが、伝説の中で特に有名なのが「天狗を斬った男」という逸話である。

奈良・柳生の里にある「一刀石」。その巨大な岩は、まるで剣で真っ二つに斬られたかのような鋭い割れ目を持つ。

「これは柳生十兵衛が天狗と戦い、一刀のもとに斬り伏せた跡である」

……と、思いきや、資料を読み漁る地と、この話の本当の主役は柳生十兵衛ではなく、その祖父・柳生宗厳(むねよし) であることがわかりました。
まあ、天狗が実在したかはともかく、おじいちゃんが天狗を倒したそうです。

伝説のあらすじ
ある日、柳生宗厳が山中で修行をしていると、突如として天狗が現れ、勝負を挑んできた。宗厳は一瞬のうちに剣を振るい、天狗を斬り伏せた。

しかし、気がつくとそこには天狗の姿はなく、代わりに巨大な岩が真っ二つに割れていた。

「天狗を斬ったのか、それとも剣の力で岩が斬れたのか……?」

この伝説が生まれ、やがて「柳生新陰流の剣は神技に達していた」と語り継がれるようになったのだ。

しかし、なぜこの話が柳生十兵衛のものとして広まったのか?

柳生街道(滝坂の道)は不ぞろいの石を敷き詰めた石畳。柳生家が将軍家の剣道師範となり大名となった頃に街道の行き来を良くしようと改修工事が行われた名残だと考えられています。

2.なぜ「柳生十兵衛が天狗を斬った」となったのか?

本来、一刀石伝説の主人公は柳生宗厳である。それなのに、なぜ後世では「柳生十兵衛が天狗を斬った」と言われるようになったのか?

以下の3つの理由が考えられます。

① 柳生十兵衛の知名度の高さ

柳生宗厳は、柳生新陰流の祖として重要な人物だが、一般的にはそれほど有名ではない。

一方で、柳生十兵衛はフィクションの世界で圧倒的な人気を誇る剣豪 である。

特に、時代劇や小説の影響で、「剣の達人=柳生十兵衛」というイメージが強いため、柳生家の逸話がすべて彼に結びつけられた可能性が高い。

② フィクションの影響

十兵衛は『魔界転生』や『柳生一族の陰謀』などの小説や映画で大活躍している。そのため、物語の中で「剣豪が試し斬りをしたら岩が斬れた!」 というシーンが描かれると、自然と「柳生十兵衛の話」として認識されるようになった。

実際に、漫画やアニメでも「剣士が岩を斬る」シーンは定番であり、そのモデルのひとつが一刀石伝説だったと思われます。

③ 柳生一族の伝説としての進化

柳生の里には、「柳生一族の剣豪伝説」が多く残っている。しかし、それらは代々受け継がれるうちに、特定の人物の名前が抜け落ち、「柳生家の誰かがやったこと」として広がっていった。

その結果、「柳生一族の剣豪が天狗を斬った」→「柳生家で一番有名な十兵衛がやったに違いない!」という形で、伝説が変化していったと考えられます。

ここから数百メートル北東に柳生の里があったのですね

3.片目の剣士?──隻眼の真実

TUBU君曰く、隻眼(片目の剣士)である。
しかし、実際に彼が片目を失ったという史実はないです。

では、なぜ「隻眼」のイメージがついたのか?

これは、柳生新陰流の剣術に由来するという説があります。

新陰流では、「片目を閉じて、片方の目だけで相手を見る訓練法」があったという。これは「遠近感を研ぎ澄ませるため」の修行法であり、もしかするとこの修行中の姿が「片目を失った」と誤解されたのかもしれない。

また、十兵衛は若い頃に父・柳生宗矩と対立し、長期間放浪していた。その間に何らかの怪我を負った可能性もあるが、確たる証拠はないです。

こうして「隻眼の剣士」というイメージが創作の中で強調され、彼の伝説がさらに神秘的なものになっていったと思われます。

結論。柳生十兵衛は隻眼の剣士ではなく、両目の剣士である!


十兵衛も忍辱山圓成寺に来たはずです

4.幕府の剣術指南役? それとも自由人?

「柳生十兵衛は、三代将軍・徳川家光の剣術指南役だった」とTUBE君が言ってました。

歴史を学んだ人なら、一度は聞いたことがあるだろう。しかし、これには疑問が残る

確かに、柳生家は徳川家の剣術指南役を務めていた。しかし、その役職を正式に担っていたのは、むしろ父・柳生宗矩であり、息子の十兵衛が公式に「指南役」として活動した記録は見当たらない。
記録では1619年(12歳)に徳川家光の小姓として仕え始めたが、家光を怒らせて、1626年に小姓をやめた。(指南役ではなく小姓である!)

そもそも、徳川家光より柳生十兵衛は4歳年下である。
ボンボンであるが英傑呼ばれる家光が、思春期に10代後半の時に4つも年下の小姓を剣術師範とするとは思えません。今でいうと大企業の御曹司の大学生が、自分の付き人である高校生を師と仰ぐようなものである。

しかも十兵衛は20代の頃に家光の怒りを買って、柳生の里に戻り、長期間隠棲 している。師範をクビにしますか?

結論、状況から見て徳川家光の剣術指南役は、親父である柳生宗矩である

余談ですが、幕府を離れた十兵衛は、各地を放浪しながら剣の修行を続けたと言われている。この頃のエピソードとして、次のような話が伝わる。

📜 十兵衛、牢人を斬る?

江戸の町でのこと。十兵衛が茶屋で休んでいたところ、酒に酔った浪人が絡んできた。
「おい、坊主、お前みたいな若造が剣士気取りとは笑わせるぜ」

十兵衛は静かに立ち上がると、浪人の脇をすり抜けた。次の瞬間、浪人の帯が切れ、着物がバラバラに落ちたという。
剣を抜いたのか、あるいは気配すら悟られぬほどの速さだったのか──。

たぶん、事実ではないと思います。

ルパンに出てくる「石川 五ェ門」だったら、また、つまらぬもの斬ってしまった・・と言いそうです。

家光の師範ではないが剣術は非凡ではないと思います

5.魔界転生とフィクションの十兵衛

十兵衛の人気を決定づけたのは、小説や映画の世界である。

山田風太郎の『魔界転生』では、死後に蘇った剣豪たちと戦うヒーローとして描かれた。
司馬遼太郎の『柳生一族の陰謀』では、幕府内の権力争いに巻き込まれながら、暗躍する十兵衛の姿が描かれる。

考察すると、こうした創作の中で、「隻眼の剣士」「天才剣豪」「謎多きヒーロー」というイメージが強調され、それがやがて「実際の柳生十兵衛像」として人々の記憶に定着したと思います。


6.結論

史実としての柳生十兵衛は、実はあまり詳しい記録が残っていない。しかし、それがかえって彼の魅力を高め、「伝説の剣豪」 というイメージを生み出した。

・実在の人物で柳生新陰流の剣豪であった。 柳生の里で師範をしていたのは事実である
・天狗を斬ったのは柳生宗厳。しかし、その伝説は十兵衛のものとして語られるようになった。

 隻眼の剣士というイメージは、柳生新陰流の訓練法や創作の影響が大きいが、本当は両目の剣士である
 史実よりもフィクションの中で活躍することで、彼の名は現代まで語り継がれている。

つまり
1.柳生新陰流の使い手の剣豪である
✕2.隻眼の剣士である
✕3.徳川家光の剣の師範であった

十兵衛がこの世を去って数百年、エライのは十兵衛でなく親や爺さんではないのか?と考察されてるとは!

天狗と戦い、幕府に仕え、魔界から蘇り、時には茶屋で浪人をあしらう──。

こうした伝説を生み出せる男こそ、まさに「剣豪」の名にふさわしいと思います。

結論:柳生十兵衛は、史実を超えて人々の心の中で生き続ける剣の伝説である。

といわけで、私なりの結論となりました!
調査不足や誤りなであればコメントをお願いします!
長文最後まで読んで頂きありがとうございました。



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