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日記4/5 悪魔の稼げるブログ術本(グリモワール)




ブロガーが
「ブロガーで稼ぐ本」という本を出していたので、冒頭を試し読みした。

中には
「検索の引っ掛かる語を組み合わせろ」
「記事は雑記でなく専門性を絞れ」

などなどと書いてあり
とても新鮮味ある紋切り型だからこそ
興味がつきなかった。


言葉で稼ぐというのは、大衆の興味をどれだけ引けるかに依拠する。
読む媒体は石版からネットへ進化したとはいえ、その方法は古代ギリシャの哲学者(ソフィスト)が弁論術(レトリック)を用いた頃から変わらない。
ともすれば、このブロガーの本も人の本質をついたものとして、数千年先の人間が読んでも相槌を打ってくれるかもしれなかった。


そんな皮肉(アレゴリー)を考えつきながら
私が知りたい内容を探る。

聞き飽きたテクニックはさておき
私が知りたいのは、読まれる文章に修正する方法でなかった。

どうすれば雑多な内容で、癖のある文章でも
評価に値されるブログを生み出せるかだ。

簡単平易な文章がいいとされるが
難解複雑な字面(センテンス)を好んで書きたい。
人、それを縮めて「難センス」と呼ぶのだから。


そんな期待を抱き続け読んでると
タイトルの付け方という
令和のアリストテレスと呼びたくなる
まさに弁論術(ゴルギアス)の2章に相応しい
内容が出てきた。

その修辞法の一つとして
「悪魔のxx」という比喩表現が紹介されていた。
確かに2、3度耳にしたことのある、小狡(こずる)く背徳的ゆえに耳を傾けたくなる言葉だ。

しかし果たして
その文章を書いているのはブロガーだ。
だから文脈に則れば
ブロガー=悪魔となる。

そう思うと、この本は
悪魔による人を惑わす言葉の享受だから
中世なら焚書されて然るべきなのかもしれない。


先程から鬱陶しく
ルネサンスでもないのにルビで紀元前ギリシャの用語を乱用しているが

悪魔が悪魔になる方法を語るというのだ。
あえて遠き日の語句を用いて距離を取り
これくらい警戒しやすい言葉遣いのほうが良いだろう。

しかし悪魔は悪魔のことを真に語るのか。魔術本(グリモワール)の有名所に
紀元前にソロモンの召喚したとされる72柱を紹介するゴエティアがあるけど
あれは雰囲気を出すために難解で前提知識が不可欠な言葉が多い。
17世紀の悪魔学は魔術教団でちゃんと学ばなければ、悪魔の言葉一つ聞くことができなかった。

ゆえに悪魔の〜と聞くと
どの文化のどの悪魔が唆すのかと
呪文たる言葉の節々に目を通して
見極める必要があるわけだけども
残念ながら、令和の悪魔は口数少ない。
簡単平易な言葉なせいで、
悪魔の饒舌な舌は丸くなっている。


もっと私に呪文を投げかけ、
複雑な言葉の波で相手を巻き込む術を教えてくれ。

そう思ったが悪魔は口数を減らす。
愚者は多くを語り
賢者は多くを語らず

そんな格言を見習えと諭してくる。

どうやら私は
悪魔と相性が悪いらしい。



などなどと
ただの1ページだけで
1000字を超える日記を書かせてしまうのだから
収益ブロガーの言葉はすごいなと
感嘆して本を閉じた夕方の書店だった。



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