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日記8/24 毎日更新は【オルテガ】に倣うと非難されるので【村上隆】に習う


 継続は力なり、とは温故知新な慣用句である。
 当たり前の表現ながら、現代ネットでは大事な言葉の一つだ。


 つまり、漫画サイトで「待てば無料」を毎日継続すると、一話が僅かなページ数の漫画でも、何作品も、何十日も読み通すことで、買えば何十万もしただろう回数を読み終わり感動することが出来る、という話だ。

 私はそれに倣って、以前も書いたベルセルクを毎日読んでいるけれど、ダークファンタジーな展開に日々の希望を見出してるのも酔狂っちゃってるなとか自己分析している。

 
 と、御託は置いといて。
 実際、ブログでアクセス数を稼ぐ人たちにとって、毎日更新というのは必要不可欠に近いものだ。
 自由気ままに書いてる私のようなNote記事をみると、呆れどころか「こいつがやってるのはNoteじゃない。チラシ裏の落書きだ」くらいに言われるだろう。
 そして私は、自分の文章が他人から見られたとき、チラシの裏に書く落書きのクオリティに達しているのかと喜ぶ。
 

 そういうわけで、チラシ裏の日記は今日見た動画の感想でも残しとく。
 

村上隆の生活



 村上隆は美術の教科書にも載るくらい有名なアーティスト。
 ———くらいの知識は、現代美術に疎い私でも知ってるし、アニメ柄のキャラが射精をした立体物「My Lonesome CowBoy」に16億円の価値がついたことは、ネットのまとめサイトを漁る私は知っている。(画像を載せようと思ったけど、芸術なのにセンシティブ判定かかるので、調べてね)


 しかし世界的には成功したと説明され、ネット批評家たちは商業主義に寄って大量生産に逃げただけと辛口評価する、そんな彼だけれども、一日の働く姿をみると全然違うなと感じる。

 その生き方は、我々のイメージする芸術家の生活と現代経営者のハードワークを足して2倍したような生き方だ。割らないよ。
 つまり濃いし忙しいし、自分を削りながら、でも情人以上に自己管理ができている。

 成功者というより、成功した後の生き方が上手いというような感じである。
 羨ましいとは思わない。私が彼のように生きるのは不可能なので、別次元の生物を見るような感じで眺めてしまう。


オルテガ

 そういえば20世紀初頭の、「生の哲学」の哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、当時自分の故郷であるスペインの文化を時代遅れと考えて、著書を発表していた。
 大衆文化が流行れば、いわゆる文化人と呼ばれるエリート層の影響が減るわけで、それが文化の衰退につながる、といた話だ。

 でも、村上隆の場合、ネットで言われる大衆文化とはまた違う。
 確かに量産化こそしているが、それは商業化を利用して次世代に作品を残すためであり、それを成すために自身の身を粉にした生活を送っているように見える。まさに文化人と名乗るに相応しい存在だ。
 
 これは別にオルテガが間違っているわけではなく、20世紀から2020年代という時代に至る中で、商業や大衆文化が興亡を繰り返し、研究し続けられる中で、大衆文化という在り方自体が大きく変化したのもあるだろう。
 日本人より海外の人に、一目見た途端に写真を一緒に取って欲しいと頼まれる村上の姿は、まさに大衆文化に「多様性」「グローバリズム」が加わった様相を表している。


 ……といった感想をだらだら書いていたら、あっという間に1000文字を越していた。
 日記としての、また継続するという意味での分量としては十分だろう。

 私の日記が大衆化するかはともかく、すごい人が日々継続して頑張っていると分かれば、簡単に感化される私もまた頑張ろうと思う。

 まずは八月の最期の日まで、日記を後何度か、できれば毎日更新するのが大衆に寄り添ってていいんだろうけど……できるかな?



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