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日記9/1 今日の晴傘、江戸の秋雨

 8月31日に人は何を感じるか。

 小~中学生なら宿題の終わりと、定期試験の始まりを。
 歳時記好きなら二百十日と今年が後122日なことを。
 ゲーム好きならマンスリーミッションの切替えを。
 ラノベ好きならエンドレス・エイトの終わりを。
 カルト好きなら切り裂きジャックの始まりを。
 ロック好きならギブソンの命日と曲特集を。
 ブログ好きなら夏季PV数集計の終わりを。
 日本史好きなら大坂冬の陣の始まりを。
 ボカロ好きなら初音ミクの誕生日を。
 SF好きなら日本SF大賞の終わりを。

 そんなことを特に考えなかった私は、23時にYotutubeを見てた日付が変わっていた。
 二度とは来ない8月を終えて9月を迎えていたと、無意味に感傷的になってはみたが後の祭りだ。

 祭りといえば、この時期に夏祭りや花火大会が多い。
 歳時記にすら「この時期は台風が多い」と書かれているけれど、雨天決行なんのそのと、当日まで観光客から参加者までハラハラとさせながら開催される。

 花火がこの時期に多いのは空気の関係で一番この時期が綺麗に見えるからだという話もあった。
 今では年中どこかで打ち上げてくれるので、夏の風物詩でありつつ、例え夏に見れずともそんなにガッカリ感はない。
 でも一方で、例えば江戸や昭和の作品にある夏の甘く切ない恋模様の背景となるには、浴衣こそSNS映えするとしても、令和としては台風や猛暑が辛い。
 なにより人、人、人の大混雑でどこかフィクションすぎる感じになってしまった。
 
 昔と今で意味が変わった夏の歌もある。

「晴天に 持つてもって通るは 借りた傘」

 という江戸川柳。

 本来は昨晩の夕立のときに傘を借りたから返す話なのかもしれない。
 けれど今では、夕立はゲリラ豪雨に名を変えた。
 晴天だろうと降り畳み傘を持って出かける人は多い。
 更にカンカン照りに気象庁が警鐘を鳴らすから、日傘をさす女性だって随分と増えてきた。
 令和の時代では、「晴天すぎるから、逆に傘を借りる」という意味にもできてしまう、そんな時候である。

 
 画像の浮世絵も、

 歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」

 で、隅田川にかかる新大橋という橋の夕立模様を書いている。



 最近も「数十年に一度の記録的な豪雨」という表現はなされている。
 じゃあ江戸の人たちは地球温暖化なんて関係ないから雨も酷くないのか。
 ーーーということはなく、画像のように心を打つ雨模様のなかで働いていたのかもしれない。
 葛飾北斎の赤富士、葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」は有名だけれど、これもまた雨という名前がついてる通り、富士山麓が雨で真っ黒になっている。


 と、祭りや夕立の話をしていたら、あっという間に1000文字だ。
 貴重な読者の秋の1日の時間を長々とすり潰してしまった。
 話をまとめると、要は台風とか豪雨って大変だなぁって愚痴の日記である。

 ただ、そういう長き雨の前後にしか見えない日常の景色、自然の美観もある。
 被害が少ないことを祈りつつ、来年の夏からは私も日傘を常備してみようかと思う、気象学での夏の終わり、秋の始まり、絶賛台風の真ん中な1日であった。

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