日記1/5 ケーブルカーでムジカ・ムンダーナ
『ムジカ・ムンダーナ』
古代ギリシアで生まれた
世界の鳴らす音楽という概念は
単なる楽器の音ではない
星の動き、宇宙の調和と秩序
自然の中に宿る法則性は
幾何学をもって音色となる
一見人間がそう思えなくとも
キルヒャーの普遍音楽を知らずとも
イヌがそれを理解してることもある
くううん、きゃわん
くううん、きゃわん
トイプードルは
カゴの中で鳴き続ける
ここは山頂から麓を結ぶ
ホームに停止中のケーブルカー
雨模様に怯えた客がかけこみ
定員まで詰めこまれた車内は
年末年始の旅行先なのに
まるで平日朝の山手線だ
3人家族の父親は
肩から下げたカゴを覗き
モゾモゾと何かシようとして
何もできないから困りはて
また同じことを繰り返す
満員のケーブルカーの乗客は
私を含めて何もしない
子犬の怯える理由を想像しながら
くううん、きゃわんと
鳴き声を聞き
何かしようとして
何もできないので
また反芻する
そんなリズムを小さく刻んでいると
やがてドアが閉まり、ケーブルカーは緩やかに降り始めた
子犬のビートは気づくと消えていた
ドアと床の隙間3センチから
空気音が流れ出す
電車のレールに揺れるリズムとは違う
ケーブルの揺れは緩やかで
音すら気づかず乗客は冬景色に見惚れる
昔来たときの思い出を語る婦人
小さなテンポが途切れず続く
窓に手を伸ばしスマホで録画する女子
撮ってははしゃぎ撮ってははしゃぐ
吊り革片手に外をじっと眺める10代の学生
視線を前後左右の窓へ点々点々と
動かしてはぐるりとまた一周する
誰も気づかないけれど
皆はゆっくり揺れている
それぞれのリズムで揺れている
そんなセッションが満員電車を満たす
私もまたその音を聴きながら
何かのリズムを刻んでいる
子犬はもう鳴かなかった
己がビートを刻まなくても
ここに不安と静寂はないのだと知ったのだろう
気圧が上がる
耳がゆっくり詰まっていく
もうこの曲も終わる
山下の駅の扉が開く
先ほどのセッションのことなど忘れ
人々は己の生活に戻っていく
私ももう
あの演奏を思い出せないが
まだあの空の中
山に貼られた5弦を風が弾き
揺られて奏でた音色のことを覚えている
そんな臭いことを言っていると
一つくしゃみが出た
これは世界への不協和音か、
はたまたムジカ・ムンダーナか
……いや、寒い夜に響いた
恰好もつかない情けない音なだけなんだけども
参考
普遍音楽/詳細/工作舎 (kousakusha.co.jp)
新幹線でひたすら席蹴られるリンちゃん/鏡音リン (youtube.com)
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