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7月15日 100日で完成する本 13日目

・仕事論、組織論について

他者と働くと言うことは、仕事の中でも非常に重要な要素ではないでしょうか。ただ、ほとんどの場合その他者を自分で選ぶことはできません。ならば自分が変わっていくしかない。

それが『他者と働く』で言うところの、ナラティブに橋をかけるという行為でした。

組織の中で、どう振舞っていくか。他の視点で考えてみましょう。『経営リーダーのための社会システム論』と言う本から学んでみます。この本は、かの有名な宮台真司さんの本です。

要所を引用しつつ、組織のあり方、自己のあり方について考えていきます。

1共通感覚の欠如

つまり、第1に、法の外での外遊びの共同身体性を通じて、共通感覚を育んで「本当の仲間になる」営みが消え、第2に、家庭環境がまったく違ってもゴチャゴチャに混ざって遊ぶことで「誰もが共通感覚を持っている」という感覚を育む営みが消えました。それが友だちになりにくい状況を生み出し、それゆえにますます共通感覚を育みにくくなるという悪循環が回っています。

『経営リーダーのための社会システム論』より

引用文だけだとわからないと思いますが、簡単に言うと「共通の体験がなくなったから、感情が壊れた人間が大量生産された」ということです。自分の子どもの頃を思い出してみます。

小学生時代、ほとんどの時間を友達との外遊びで過ごしたように思います。サッカーや野球だけではなく、秘密基地づくりなど。秘密基地は、おそらく今では禁止されているのではないでしょうか。

その、「ちょっといけないこと」を共有することも共通感覚を育むことになっているのではないでしょうか。また、遊ぶ相手も基本は同学年だったが、それだけででありません。

他の学校の子どもや、中学校の怖い人などいろいろな出会いがありました。
そこで、ある種の共通感覚が育まれたのだろうと思っています。それがないから、「感情が壊れて」しまい、電車で弁当を食べたり、化粧をしたりする人が現れるのではないでしょうか。

周りの人との共通感覚がないと、このような事態が起こります。現代は、共通感覚を育むことが非常に難しいです。何とかして「共通感覚」をい育んでいきたいですね。

2ルソーと「われわれ意識」

ルソーが理想としたのは民主制の社会、それも直接民主制の社会でした。といっても、彼が擁護していたのは、直接民主制という制度そのものではなく、直接民主制がもたらす帰結です。具体的には、統治者も行政官も不要な、「みんなでみんなを統治する社会」の実現です。そのために必要となるのが「個人が、自分のことだけを考えるのではなく、みんなのことを考える」という感情的能力で、それがピティエです。

『経営リーダーのための社会システム論』より

ここでルソーがでてきます。ルソーといえば「社会契約論」「エミール」などですね。教育においてもルソーは重要人物です。

ルソーは、私が興味のある「民主主義」と「教育」の2大テーマを扱っています。そんなルソーが、理想とした民主主義は「多数決によって決めない」というもの。

今では多数決がみんなの総意を得られる方法として認められていると思います。ただ、少数派の意見が完全に無視されるような空気だと、本当の民主主義とは言えません。

自分のことしか考えない人がいると、民主主義は崩壊します。だからこそ、みんなでみんなを統治することが必要不可欠になります。その時に大切なのが、「ピティエ」ということです。

私が、読んだルソーの言葉は「哀れみ」というふうに訳されていたような気がしたが、「ピティエ」の方がわかりやすいですかね。「感情が壊れた人」が増えていく中で「ピティエ」を育むことはかなり厳しいです。

国家単位で考えると不可能です。だからこそ宮台さんは、小さなコミュニティを作ってそこで民主主義を作っていくしかないと言います。確かにそうです。では、小さなコミュニティーをうまく回していくにはどうすればいいのでしょう。

3ファシリテーターとミメーシス

みんなにナッジを示し、巻き込み、エンパワーし、「これを決めたのは自分たちだ」と体験してもらえるように場づくりをする点で、ファシリテーターは「体験デザイナー」だと言えます。実は、ここでレクチャーしている僕のような教員も、映画や番組の制作者も、建築家や都市計画家も、潜在的に体験をデザインしています。

『経営リーダーのための社会システム論』より

さて、小さなコミュニティーのリーダーはどのような存在であるべきか。キーワードは「体験デザイナー」です。これには私もとても共感しています。
ナッジとは「小突くこと」です。

背中をポンと押してあげるイメージでしょうか。指導者は、目立たずにあたかも自分自身がやり遂げたように感じさせられる人だそうです。教師も似たような感じです。

確かに、この考えは良いです。でも、先に書いた「ジェネーレーター」視点の方がさらに良いのではないかと思っています。裏方に徹するのではなく、集団の中で一番楽しくやってる人。

私はこれを目指したいなと思っています。私は、いわゆる「リーダー」のような役割はあまりやりたくないのです笑

ここでキーワードとなるのは「ミメーシス(感染的模倣)」の概念です。ミメーシスはもともとギリシャ語で、人が他者の振る舞いに対して感動や共感をおぼえ、内側からわき上がる衝動に従って同じ行動を取ろうとすることを意味します。では「立派な人」の要件は何でしょうか。それは、利他的、倫理的であることです。

『経営リーダーのための社会システム論』より

そうそう。この「ミメーシス」を生み出すためには「ジェネレーター」的要素が必要なのではないかと切に感じています。もう少し説明してみます。

「ミメーシス」とは、私なりに解釈すると「憧れ」です。ある人に対して「いいなー」「楽しそうだなー」と思うことから「ミメーシス」が始まります。

だからこそ、集団の中で一番汗をかき、楽しくやってる姿を見せることで、「やってみたい!」という「憧れ」を引き出すことができるのではないかと思っています。それが「ジェネレーター」です。

最後に、宮台さんは上記の引用にあるように「立派な人」について語っています。ここで出てくる「利他的」が個人的にはキーワードです。自分が楽しみつつ、相手にも楽しんでもらう。

利己的かつ利他的な姿勢が、「ジェネレーター」であり「ミメーシス」を生んでいくのではないかと考えています。なので、次は「利他」について考えてみます。

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