ASDかもしれないひとからみた世界(3)
生まれつき手足の短い人に、「あなた、それ変ね」と言えるのだろうか?
...いや、きっと言えない、分別のある大人ならば。
しかし、ASDかもしれないひとは、「あなた、それ変よ」と、数えきれないほど言われてきた。
子供の頃、まだ自分がASDという特性を持っているとは解らなかった私は、「どこがどう変なのか」「どこを、どう直せば良いのか」をずい分研究したりもした。
ある時はノートに鬼のように書きだした。自分の『フツウとは違うところ』を箇条書きにして、それを「定型発達の人」はどのように感じるのか、というのも付け加えて、「じゃあ、どのように変えていけばいいのか」というのを一生懸命考えて。
学校の宿題をするのと同じくらいの時間を使って、とてもとても頑張った。
その結果、一時的に良くなったりもした。友達が増えたり、優しくしてもらえるようになったり。
しかしそれを続けていくと、本当にクタクタになった。家に帰っても、他に何もする気力は残っていなかった。勉強する体力も残っていなくて、成績が急降下。成績が良いことだけが取り柄のわたしは、とてもガッカリした。
それでも、そんなにまで周囲の人とうまくやる努力をしていたにもかかわらず、ある日、うっかり失言をしてしまった。うっかり、思ったことをそのまま言ってしまった、たった1回。
その、たった1回のために、それまでの苦労が水の泡になった。
そして、わたしは、それまでの努力を、やめた。
成績を上げることだけを考えることにした。
社会人になると、「仕事で評価されること」「人から好かれること」などなど、これまた一生懸命考えたのだけれど、フクザツすぎて全然わからなかった。
いたたまれなくなって、何度も転職した。
すると、仕事先が変われば、「仕事で評価されること」「人から好かれること」といった定義は、前職のものは通用しないようだった。
自己啓発本はあらかた読みつくしたけど、全部効果はなかった。
そして、50歳を過ぎた。
ようやく、ASDかもしれないことに気づいて、「もう限界かもしれない」ということにも気づいて、診断書をもらおうと思って、はじめて精神科に行って検査してもらった。
が、「確かに、数値、高めだけど...」と言われただけだった...
予め子供のうちに、「あなたには、こんな障害(特性)があるんだよ」、「こんな障害があるんだったら、サラリーマンは向かないよ」と教えて欲しかった。
誰か、助けてください...
50歳を過ぎたら、もうどうしようもないのですか?
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