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上田早夕里『華竜の宮』(上)を読んで

 友人に勧められて読み始めた『華竜の宮』、なかなか面白かったので上巻の段階での感想を。大規模な海面上昇に見舞われた世界で、合理と科学技術により人類の生存を模索する「陸上民」と、適応した身体で海洋を生きる選択をした「海上民」の生き方の鬩ぎあいを、リアリティをもって描き出している。

 正直に申し上げて、海面上昇に至るまでの冒頭の説明は、精一杯わかりやすく書かれているのだろうが、やはりとっつきにくい。仮に私が本屋でこの本を手に取り、冒頭を試し読みしたら、膨大な科学的用語の情報量にうんざりして即座に棚に戻すだろう。しかし、この作品の面白いところはそこではなく、正直プロローグの難しい説明は読み飛ばしてしまってもいい。「なんだかんだで地球の海面が上昇し、新しい国際秩序のもとで生きる「陸上民」と、身体を変容させて海洋で暮らす「海上民」がいる」くらいの理解でいい。

 さて、この作品の面白いところは、青澄やツキソメ、ツェンの目を通して、世界の仕組みや物の考え方、それぞれが抱える課題などが、生き生きと描かれることにある。全体を通して地の文や台詞は説明的で情緒こそ希薄だが、論理の組み立てが上手いので納得感をもって読み進められるし、疲れもそれほど感じない。作者はさぞ説明が上手なのだろうなと思わせる文章力だ。情景をありありと思い浮かべることができるおかげで、読者は人物に共感しながら読むことができ、結果として情緒のなさをカバーしているといえる。

 圧倒的なスケールで描かれる本作のテーマの一つは、陸上民と海上民の価値観の差に表象される、「自然」に対する認識だと思う。欧米などの一神教の世界では、自然は神によって生み出されたものであり、人間は自然を支配し操るものとされる(神>人間>自然)。対して、日本の神道では、先ず自然があり、八百万の神が生まれ、人間がある(自然>神>人間)。この構図を適用すれば、陸上民が欧米的価値観、海上民が日本的価値観ということになるが、この表現は少し誤解を生む。

 本作においては、おそらく意図的に「神」の部分をそぎ落としている。つまり、陸上民・海上民ともに、宗教的価値観に対する言及がない。概ねリアリティをもって描かれる世界において、「神」が描かれないのはなぜか。環境の激変によって宗教が繁茂する基盤を失ったと解釈することもできそうだが、どうも納得いかない。現実の歴史を見れば、危機的状況こそ人々は宗教に救いを求めるものであるからだ。仮に本作において「神」を描けば、陸上民・海上民ともに一枚岩ではなくなり、「自然」に対する認識の違いというテーマが薄らいでしまうノイズでしかない。だから、旧時代の宗教は意図的に省かれたとみるべきだろう。

 見方を変えれば、この「自然に対してどう考えるか」というテーマ自体が、一つの宗教論争といえる。本作はいたって「科学」的であるが、科学も突き詰めれば人間の尊厳や自然への畏怖を考えずにいられない、一種の宗教なのだろう。考えながら書き出していたら、要領を得ない感想になってしまった。SFというものをあまり読まないので、何をいまさらと思われるかもしれないが、こうしたSFにおける「神」の不存在は、非常に興味深いものがあると思う。

 海上民の虐殺を企てる汎アに対し、青澄やツキソメはどう動くのか、そして終盤に明かされた「竜の宮」が示す結末はいかに。あまり間を置かず、下巻も読み始めたい。

 

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