見出し画像

他人の不幸は自身の幸福たりえるか

 毎日、テレビやラジオや新聞で、どこそこで事故があった、悲惨な事件が起こった、誰かが不倫した、有名人が亡くなった、など、望んでもいないのに嫌なニュースが目に飛び込んでくる。
 私は、(大変勝手だが)当事者意識が強いようで、そういったニュースを観るとかなり落ち込んでしまうため、できるだけ見ないようにしている。 毎日、動物園で新しいパンダが産まれたよ~とか、そんなニュースがたくさん流れてきたらいいのにな、と思う。

 以前父親に「どうして世間では嫌なニュースがたくさん流れるのか。」と聞いたことがある。
「みんな他の人が不幸なのを見て、『ああ、自分には起きなかった。自分は幸せだな』と思うからだよ」と父が言った。
 私はこの答えに心底納得できなかった。そんなことを思ったことが一度もなかったからだ。

事故のニュースを見れば「もし自分に起こったら」と不安になり、事故に遭った人、その知り合いや家族の気持ちを(勝手に)考えて辛くなってしまう。
誰かが落ち込んでいたら自分も気持ちが沈むし、スポーツ選手が失敗したのを見ると、その後ろにある努力や苦悩を(勝手に)感じて涙が出そうになることもある。

これは私の「勝手」だ。当事者からしたらいい迷惑だろう。「そんなことをいちいち考えていたら生きていけない」、その通りだろうと思う。

でも、父の言った「他人の不幸が自分の幸福になる」という持論に
未だ納得ができないでいる。「人の不幸は蜜の味」と最初に唱えた人は誰なんだろう。それを”全人類の本質だ”と大きな声で言わないでくれよ、と思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?