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「今の時代」保険をかけて話をする大人

先週1日短かったから、今週めちゃくちゃ長く感じる!!!!

ラジオを聴いていた時に感じたこと
よくMCがリスナーからのお便りを読むコーナーがあるが、そこに時々小学生くらいの子どもが投稿しているときがある。
大抵住んでいる地域とラジオネームと年齢が読まれるが、子どもの場合、性別の割り振りが無意識的に行われている気がするのは私だけだろうか。

例えば、「東京都に住む、11歳の子ども、あんずという名前」から投稿があるとする。そうすると、MCは恐らくこう読む
①「続いてのお便りは、東京都に住む11歳のあんずちゃんからです。」
そして、リスナーも何の違和感もなくそれを飲み込む。
なんかこれって改めて考えると不思議だ。だって、これが大人の場合はこうはいかないのではないか。

②「続いてのお便りは、東京都に住む42歳のあんずさんからです。」
こうなる気がする。

こういう場合もある。
③「続いてのお便りは、東京都に住む23歳のずんどこべろんちょさんからです」
この場合、23歳のずんどこ(略)の性別はこちらでは判断できない。当人は面白(かは分からない)としてこの名前を付けて投稿している。

何が言いたいかというと、
①大人の意識として、子どもが性別を偽るわけがないと思っている。
(まさか男の子があんずと名乗って女の子として投稿している訳がない、という考え。自分の中にあるあんず=女というレッテルが、子どもになら許されて合っているという感覚かも。)
②今のご時世、名前のイメージだけで男女を判断してはならないという配慮と、素直に大人の男女を「ちゃん」「くん」付けで呼ぶのは一般的ではないという考え。無難。
③名前のインパクトの話題性が高く、性別に言及する必要がない。MCは当人をフルネームで呼ぶか、「この方」など何故か変に丁寧に扱うと思う。

こんな感じの意識がMCの中には生まれているのではないかな、という考察。
子どもの中に「自分の性別を偽ること」に対する面白いという感覚がないような気がする。自分が小学校の時はどうだったか覚えていないが、男が女の恰好をしたり身振り手振りをする(逆もしかり、と思ったけど、このパターンはあまり見ないかも。)に笑いを覚えるのは中学生くらいではなかっただろうか。
「小学生の子どもが自分の性別を偽ることにメリットや面白さを感じていないこと」が常識の中に無意識的に存在しているから、MCは自信を持って「あんず」を「あんずちゃん」と呼べるのではなかろうか。

今の小学生はどうなんだろう。マツコ・デラックスとかを見てもきっと違和感を覚えたりしないんだろうな、とは思う。「友達にカミングアウトをされたら、それは1つの個性として受け入れましょう」みたいな教育をされたりしているんだろうか。それはそれで窮屈で義務的で何だか変な気がする。
ジェンダーの多様性の意識が広がっても、生物上に「男」と「女」がいることには変わりがないと思うから、「男」「女」というラベル分けを片っ端から批判される世の中には若干生きづらさを感じる。みんなそういったことが言いたいときは「今の時代こういう考え方は良くないけど、」とか保険をかけてから語るほかない。難しい。
自分には何の知識もないからあまり大きな態度で話すのも恥ずかしい。このくらいにしておこうかな。

ラジオを聴いていてふと思ったことでした。明日は金曜日、頑張ろう。


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