刑務所で育った皇帝 宣帝
オヤジブログ怪気炎 vol.208
世界史気になるシリーズ 25
衛太子であつた祖父が反乱を起こし、一族は後に宣帝となる生まれたばかりの幼子を残して滅亡。幼子は獄中で養育されるが、恩赦により釈放されて民間で成長する。
成長してからは遊侠を好んだり、鶏を闘わせ、馬を走らせ、そこから村里の奸邪や吏治の得失を知った。掖庭令の張賀(張安世の兄)から学費を出してもらい学問も身につけていった。
ところが人の運命とはわからないもので、大叔父の昭帝が死去し、従父の昌邑王劉賀が一時即位するが品行不良を理由に廃位されると、儒教の経典、特に詩経・論語・孝経に通じており、「質素倹約に務め、仁愛深い性格だ」という丙吉・霍光らの推薦により上官皇太后の詔を受け、まずは陽武侯に封じられ、間もなく即位した。皇帝になると実験を握っていた霍一族を廃し、親政に当たる。
皇帝を継ぐ者は、ほとんど民間の生活を知らずに即位する。しかし宣帝は、上記のような前半生を送ったので、極めて現実主義者であったと言う。そのため理想主義的な儒教を遠ざけ、信賞必罰を旨とする法家を登用した。刑務所での虐待禁止や専売であった塩の価格を下げた政策などに前半生の体験が活きているのかもしれない。
やがて中興の祖と仰がれることになる皇帝です。
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