墨子の立ち位置
オヤジブログ怪気炎 vol.199
世界史気になるシリーズ 21
戦乱に明け暮れている時代があったし、ある意味現代だって絶えず世界のどこかで戦闘が起きている。
時は古代中国、諸子百家がそれぞれ自論を掲げて論争を展開していた。その中に墨子がいた。
墨家は、戦国時代末期に儒家とともに学団を形成し、社会における人間のありようを追求しました。儒家の考え方を批判し、無差別の愛である「兼愛」や他国への侵攻を否定する「非攻」を唱えました。また、他者を手段として利用して自己利益を図ろうとする精神と行為が争乱の因だと喝破し、自分に近しい人を大切にする考え方でした。
また孔子の仁の思想は、当時の宗族制の下で本家が分家を支配するという社会環境に制約されていたといえるが、墨子は血族的制約を一気に乗り越えて、人類愛をもとにした国民国家を想定していたと考えることができる。
小説「墨攻」に描かれているように城=都市を守る専門家として、戦国時代を生き抜こうとしたのでしょう。
ただ、墨子の思想を受け継ぐ墨家は、墨子亡き後、鬼神信仰に走り宗教集団化し、衰退していったようです。
時代は大きくジャンプして、中華人民共和国が成立した時に墨子の思想は再評価される。現代の視点からもう一度、特に現憲法で、備前・専守防衛を掲げている日本人には、その思想を眺めてみる価値がある気がします。