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帰ってきた吉備真備
オヤジブログ怪気炎 vol.254
11月10日岡山県のマービーふれあいセンターで「信長まつり」という合唱イベントが開かれ、おえコラの仲間と歌ってきました。打ち上げ会場は岡山駅前というのですが、下調べが不十分でどうやって移動するのか、よくわからない。
先発隊に遅れないように付いていくと吉備真備駅に到着。何と日本史の奈良時代に登場する遣唐使の名前ではありませんか! 駅前には奈良時代風の建物が建っています。
さて、遣唐使と言えば、阿部仲麻呂と吉備真備が群を抜いて有名です。阿倍仲麻呂は日本への渡航がうまくいかずに唐に留まったのですが、吉備真備は二往復の航海に成功している。一回目の渡唐は22歳から17年間の留学を経て39歳まで。あくまでも外国人留学生であった真備は、帰国を押し留められた様子がありません。二回目の渡唐はすでに57歳。目的は大仏開眼を控えた日本に戒律僧。招くこと。帰国では、かの有名な鑑真和尚がほぼ同時に海を渡っていたのです。(鑑真和尚は第ニ船、真備は第三船、阿倍仲麻呂は第一船でベトナムに漂着)
活躍の範囲が二国にまたがり、多くの業績を残していますが、調べてみて驚いたことが二つ。一つ目は太宰府着任中に新羅征討のの準備を綿密周到に進めたこと。もう一つは帰京して藤原仲麻呂(恵美忍勝)の乱で巧みに軍を動かし、朝廷軍を勝利に導いていることです。唐で学んだ兵学が活かされているのでしょう。
遣唐使として有名な真備ですが、軍略家としての側面も持ち合わせていたのですね。