フランス最後の皇帝 ナポレオン3世
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オヤジブログ怪気炎 vol.189
大統領が皇帝になるという道筋はわかりづらい。一般的に大統領は選挙によって選ばれる元首であり、皇帝は世襲で皇帝になることが運命付けられているからだ。
ナポレオン3世は、当初選挙で選出された議員でありました。その後やはり選ばれて大統領に就任する。何と言ってもナポレオンの甥を名乗る効果は絶大だったのでしょう。
しかし議会は共和派が実権を握っており、彼の思いのままにはならなかった。そこで剛を煮やした彼は計画を練りクーデターを起こし、独裁体制を確立したのだ。皇帝になることに当初は慎重であった彼も、国民投票を経て、伯父の後を継いで皇帝となる。
彼の帝政の前半を権威帝政と呼び、後半を自由帝政と呼ぶが、これは彼が独裁の限界を弁えていたからではないだろうか?
ナポレオン1世死後のウィーン体制を破壊して、世界各地に植民地支配を拡大し、アルジェリアを始めとした植民地からの搾取でフランスは潤った。内政面ではバリの改造や鉄道建設の実績が現在に至る遺産として、人々の生活に残っている。伯父同様に、彼の活躍がフランスおよび周辺国に与えた影響は大きい。
最終的にはビスマルク率いるプロシア軍の捕虜になったことをきっかけに彼の帝政は終焉を迎えます。息子は若くして戦死してしまい、帝政が引き継がれることがなかったというのも伯父であるナポレオン1世に似ています。そして彼以降、フランスに皇帝は現れません。ドゴール将軍など皇帝に匹敵する存在だった気がしますが、民意を受け止めながら大統領にとどまりました。(ちなみに現在世界で皇帝の意味をもつエンペラーは、日本の天皇だけになりました)
皇帝という存在が、国の政治の中心となる政治システムは、ナポレオン3世を最後になくなったのです。