矍鑠(かくしゃく)たる・・
オヤジブログ怪気炎 vol.275
ノーベル平和賞を受賞された被団協田中代表のスピーチに対して、矍鑠たる・・と称える報道が流れました。田中さんは92歳だから、ご高齢の方に使う矍鑠という言葉が、許容されているのでしょう。
紀元48年、後漢という王朝が支配していた中国でのこと。南方で反乱が起こったという知らせに、出陣を願い出た1人の将軍がいました。その名は、馬援(ばえん)。歴戦の勇将でしたが、すでに、数えで62歳。時の皇帝・光武帝(こうぶてい)は、老齢を理由に出陣を許しませんでした。
すると馬援、「私はまだ鎧も着られれば、馬にだって乗れます」と言って、実際に馬にまたがって、周りの者を見下ろして見せました。これを見た皇帝が笑って言ったことばが、「矍鑠としているな、このじいさんは!」
モノの本によると、以上のお話が「矍鑠」の語源だとされています。
「矍鑠」ということばは、その発音から推測して、おそらく擬態語だと思われます。「矍」「鑠」という漢字は当て字のようなもので、それほど深い意味はありません。現代日本語に翻訳すれば、「ピンピンしている」といった雰囲気でしょうか。
もし、光武帝がこのことばを創ったのだとすれば、それは、その場の馬援将軍の様子をうまく表現した、なにか新鮮な擬態語であって、それがあまりにもぴったりしていたために定着したものだと思われます。
矍鑠としていた日本の戦国武将を一人紹介しましょう。弓の名人として後世に名を残している大島光義(雲八)です。美濃出身であるの武士ですが、織田信長が美濃を攻めていた頃は、すでに還暦を超えていて、幾多の戦場で功を挙げ、会津征伐とそれに続く天下分け目の関ヶ原の戦いには93歳で出陣しています。
68歳の私などまだまだ小僧ですね。