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マニュアル教育からの訣別

オヤジブログ怪気炎 vol.231

ジャーナリスト田原総一郎さんがこんなことを書いている。

「大学生を対象にしたある調査結果を聞いて、僕はびっくりした。学生が希望する「就職したい企業」の1番は、倒産しない。2番目は、給料がいい。3番目は、できれば、残業がない…。つまり、「○○をやりたいから」という答えがまったくない。これは、やっぱり今の教育が間違っているからなんですよ。」

それは大学生が今の大人を見て育ってきたからで、自分のやりがいとか生きがいとかは後回しにしても、安定を求めている姿を見せつけられてきたからでしょう。

田原さんの話
「僕はね、「教育」というのは、子供たちが「一生かけてやりたい仕事を見つけさせる」ことだと思っている。何がやりたいのか? 好きなことをどうやって見つけるのか? それを子供たちに考えさせ、答えを出すように導くのが、教育の重要な使命じゃないですか。一回きりの人生なんですよ。「好きなこと」「やりたいこと」をしなくて、どうしますか。
《「原体験」になった出来事がある。高校(滋賀県立彦根東高校)に入ったとたん、勉強が難しくなり、不登校になりかけた。悩んだ田原さんは教師に問う。「勉強は何のためにしなくちゃいけないんですか?」》
何人かの先生は、「そりゃあ、受験勉強してイイ大学に入るためだ」と…。「じゃ何のためにイイ大学に?」と重ねて問うと、「イイ会社に就職するためだろう」って。
ただし、3人目か4人目の先生が僕と真剣に向き合って相談に乗ってくれた。「生きるということはどういうことか考えろ」「一生かけてやりたいことを見つけなさい」。その話を聞いて、やがて僕はジャーナリストの道を見つける。ありがたい「教え」でしたね。」

一生かけてやりたいこと。簡単には見つからないし出会えないと思います。では学校で教わっているカリキュラムという名のマニュアルは、見つからなかった場合の安全装置なのですか?
そんな大人の思惑を見透かして、子どもたちの心は学校教育から離れてしまった。いま学校に通っている子たちは、そこで出会った友だちが好きだから、学校に通っているわけです。友だちに馴染めず、自分の身の置き場がわからない子は、学校から離れてしまう。
そんな子どもたちの気持ちに寄り添うためのマニュアルや処方箋なんか無い。子どもといっしょに右往左往、立ち往生できる大人こそが、教師と呼ばれるのでないでしょうか。


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