たとえ話はやめよう
何かを説明するときに別の事象を当てはめて理解を得ようとする。たとえ話だ。これが近年本来の目的に反して話を分かりにくくしているよという話。
まずたとえ話の性質上、今の議題に上がっているものと違うものの話をされる訳だが、あまりに突飛なものを結びつけようとするので回りが付いてこない。一方傑作のたとえ話をブチかましたと思っている本人はなぜかドヤってる。うまいなぞかけを言ったような感覚かな。ねづっちです。
末期の松本人志なんてのはこれがひどくて、番組中はずっと黙っていて参加しないで最後に松本さんどうぞみたいにコメントをふられるとまあーひどいたとえ話をされる。当然のように趣旨とはズレてるし笑いどころが不明瞭だったり、下品であったり。それでまわりのイエスマン達は苦笑いをするしかなく松本本人はなぜか照れ笑い。あのJPがマネする表情ね。このパターンばっかり!
少し前に若手芸人が年配者がドラゴンボールにたとえられても若い人分かんないよというのがあった。まず誰でもドラゴンボール読んでる知ってると思っているのが想像力の欠如で客のリサーチが出来てないのが致命的。これネタが伝わったとしてもあーそんなシーンあったねで終わるあるあるネタなのですごく低レベル。ひねりが無いあるあるネタはただ懐かしいこと言ってるヤツだからね。
わざとズレたたとえ話を討論で使う人も居る。論破の人ね。相手が言ってきた事に対して例えばこういう事になるよねと自分勝手なマイナスな解釈をした上で今自分が作った話に対してそれはおかしいと攻撃する。テクニックなんだろうけど。
たとえば~が口ぐせになってしまって居る人がけっこう居る。これってどうなんですか?に対してたとえば~と言われるといやいやたとえなくていいからこれについて教えてよと。
で結構シビアな話をするとたとえ話をされると話が分からなくなる性質の人というのが結構な割合で存在する。よかれと思って事象を置き換えて喋ると、え?なんでAの話してるのにBの事言うんです?となる。こういった性質の人にはストレートに直球で言うに限る。理解は出来るのだから。いきづらい世の中とかいう安易な表現は嫌いだが難儀な性質を持った人やその家族や周囲の人がいらぬ混乱に巻き込まれないように事象から逸脱したたとえ話は慎むべきだと強く思う。
あとはまあお笑いの分野だと松本人志がさっき書いたような体たらくなので他の芸人達も劣化版の劣化版みたいなもの。たとえ話というよりたとえのワードセンスを競ってる。面白くないのに。何々みたいですねと言うが大抵相手を蔑むものを出してくるのでこういうダウンタウン時代の手法はもういいんじゃない?といった印象。人を小馬鹿にして回りが笑い者にすんのね。もうやめろよそういうの。
たとえで孤高の存在はフットボールアワー後藤一択。こういう根っから面白い事出てくる才能の人にテレビ出てほしい。反面ダメなのは麒麟川島。たとえをやたら出してくるが暗いキモい不快なワードが多い上に言ったあとドヤるのでいやそんなウマくねえよとなる。
よく記者会見で仮定のお話には回答出来ませんという返答がある。なんか逃げてズルいなという印象受けるけど記者が好き勝手自分らが書きたい記事が書けるたとえ話をぶつけてるんだからしょうがないよなって。
というわけでつまらないたとえ話しか出来ない芸人は復帰してくれなくてもいいよという話でした。
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