『永遠の溝』
もうしわけない事に今日のつかれは酷い。
技術はこういう時、科学より軽薄って思う。
その適応している姿をみせる事、職能として発揮して、現実を解決出来たことは、過労を、視野の外に疎外する。そう思う。
出来ても心は呻いている、そこを考えないといけない。
そういう時、倫理から、理科へと、科学へと、思考を跳躍させなかった人間学の欠けた目上の大人の姿に、ひたすら哀しみや、愛の喪失に関してや、苦しみについて考える。
みんなの今日もなくならない苦しみ。一生懸命励ましたのに、残る苦悩。
その矛盾と、葛藤と、悲しさと、後悔と、悔しさと、慟哭と、つまらなさ、自己愛の役割、そのナンセンス、肯定と否定、ノーの言えない日本人、その1つ1つを考えては、本日に限ってはお酒に頼りたくなった。
ああ強い人間の基準から話してしまった。
もう弱い人との交通はない。
差別するつもりは無かったのに。
きっと、解決出来ない事に苦しむ人の場所へと戻れない旅路を始めてしまっている。
わたしはやっと区別を出来ちゃって、個人として、痛みに釣られない様に成った。
その荷をおろした快感と、圧倒的な自責と、さらにストイックになりそうな自分と。
今は、もうとにかく前に進むしか無い。
寄り添っても、寄り添っても、背中を見せない事には和(輪)から言い訳をするんであるから。
強いあり方を示して、弱気にはいよいよ、二元論の善悪を教授したら良かろうか。
わたしには無限の可能性、つらくしか思われない。
ああ1つに決断を絞れない人。
当然の苦労と焼け付く様な痛み。
然し、正しくは、正しくはないよね?苦労にも理由は、あって、努力に言い訳なんて相手の、対応し辛いことをわたしに、してくるなんて、努力って習慣の負荷のインフレーションとは明確に違うと私は想ってるのに、散々つらさを辛さとして肯定する人と、その改善の意欲のなさを、見ては、心は沈降して行く。
理想に邁進した皆さんは、居た筈。その輝いた姿有った、筈。
(もう若くないから若者に指導するコトにしたのか??)
つらかったろう。
それを、しては、助けても貰えない。
若者は仲間を守るから。
若者は仲間を守りたいから。
これ以上尤もらしい発言をする大人とは線引を、しよう。
他者の痛みを知らない大人。アア。
成熟した骸骨の姿に、惜別の情を、送る。
生はそんな甘くないのさ。
これから生きようとしてるなら、持たない様な考えを、自暴自棄に染み、みたいに、若者になすりつけるなら、もうわたしは、仲間のみを守る。上の世代の残した形骸、その1つ1つを愛してた。もう戯言には付き合えないサヨナラ、仲間を犠牲にしたロストジェネレーションよ、薄情さ、には理解を示した、そして「あなた」は、歩みよらない。さよーなら。日本のヤクザな年金世代よ。わたしは仲間を守る。「あなた」には出来なかったそれを、やるっから。仲間を再度傷つけたら、今度の手加減はもう無い。優しい仲間をこき使ってくれたら上は、損切りする。尊厳については分かってもらおう。
こっちは成立して居る。同情の余地はない。薄情な世代より仲間を、優先する。
克己心や未来を理解出来るやつを。助けて、それ以外は後にする。博愛を虚飾するな??ー
相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。