条件としての国と償いとしての国。ー
譲歩の限界は、考えてみよう。韓国という大統領の変わる国は、その都度の判断は、あまりにする。それを考慮は、しても国債を乗り越えるメンタリティーとして歴史の負の遺産への対処方法そのものは、なんせリハーサルもしないというわけにいかないよ。歴史は遡る程快楽的な性的体験は送っていない。みんな苦しかったこと自体は事実。見合い結婚の可笑しさも実はある。それを無視した期間も皆長い。長いと言える。重く受け止める保険としてそう言える。
つまり珍しくないとは言えるよ、右翼に譲歩みたいな、、面は。傷つけた時の態度としてやはり現状正しいとは言えない。陰湿な学級みたいな空気には変わる、って、変化を起こして意外にも国民の納得にも関係して来る。戦後民主主義に完全にきりかえたという自負は異様に実際あるのは、事後としては正しくても、そういう面を、認めても、らくになって分担しないという方策は、アフリカの人もしないし、そんな軽いことは(人間の尊厳として)言ってられない。比較的には恵まれていて、こう。
つまり考えるくらいしてええんよ。罪悪感に直面して崩れない様な自己肯定感は、価値は、あるよ。あるよ。
親日になってくれたら、正直、正直には支援は、しやすいと想う。
今ヘイトをされるなら、それから取り掛かるしか無い。
賠償自体は、していいよ。人として謝るのもいいよ。本当は器大きいひとは背景と関係なく現在を考えられるよ。それも難しいのかも知れない。そんなに傷ついたのかも知れない。ISと違って、国としての責任を果たせるから弱者は、たすけないといけないよ。日本とも仲良く出来ないそういう捉え方は出来ても、、それは相手も加害して居るそれは、言いたいもんナ説得力を考えて、一貫性は、被爆になにかを言いたい時にそういう側面配慮しないといけない。きつい意見なら伝える責務は果たさないと隠蔽にしか相手は、見ない。
堂々とひらきなおって、批判に面と向かえるならもうそうきめな。
右翼なのかもしれない。
独逸やソ連や日本にしかわからないと言い張れるかな??
それは、ほかの義務を果たしているのか。
こうなる。
向きあわないなら植民地化・意識「あいてからは」そう見えるよ。
救おうとしたなら、結果にもそう響いてないといけない。
伊藤博文をころされた部分は、ある。監督者凄く判らないし、それは今度からは、捉え方、具体的に決められる(?)
本当に内部の仲間を考えるとした際も、それは、仲間を守れなかった。
リンカーンを守れなかったアメリカくらい浮付いちゃってる。
これは。
もちろん日本なら当然慰めにはきりをつけるところ、あれは、牛歩の様な見えかたは、する。
戦後は、終わったと言葉としては、ある。
違和感は、あった。
そう思いたい、それは、本心。
国自体は、外交能力を有しとか具体的な、条件から微細に成り立っていく。国失格ってことには、成らない。
マナーの日本とは現状なっていない。
独逸人の観光客と日本人の観光客は、似た傾向をもつ。
部分的には正しくても2つくらいと言える。
そとにわりきっちゃうのは。
組織のある意味は、木村さん亡きあとも読売巨人は、意志を継承していくというコト。
そこ欠けるとやはり意味なくなって来る。
こんなときに勿論復讐を考えない。
福祉への軽視をやめたりする。
正常なのは。
相手にも対等に。
先進国に完全に成って鎖国もしくは極右と取られないその為には余剰からは少なくとも支援する必要は、ある。発展自体は、阻害してはいない。
迷惑かける一方と認識する必要は、無い。
自己卑下も、自意識過剰。
そのこと。そういう種類のこと。
仲間になんか成ってくれなくたって構わないという言い訳は、通用しない。短く通用する以上のことは、明らかに無い。
現在中道になっても、過去の分は、いいかなむろん、蓄積はされるし、厳しく見ておいて甘く成るかって話なの 楽観よくないのは当然っておもうよ。払わない財源も用意する必要は、有るよ。
払う可能性は、そりゃあるんよ。
右翼に全く懸けるのは、右翼のためにも成らないよ。
ならないよ。
トラウマから日系人を怖れたりするのは、なんとかしないと。
償える余地は、前向きな事柄。
お、し、ま、い。