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【小説】ヒマする美容師の副業#3 水ねだり魔女のパパ登場

あいにくの雨だが、この世の終わりみたいに忌み嫌うほどではない。暴風雨ではないので海には行ったが波が悪すぎた。こういう日もあると店先のガーデンテーブルセットで通りを眺めているとお約束のようにカオリが現れた。


「タカシってもしかして閉所恐怖症なの?」
「いきなりの話題だな」
「だってこんな雨降りに外で缶コーヒー飲んでるなんて意味不明だわ」
「他人のすることを理解したがる方が無謀だよ。ところで、よほどの用があるんだろうね」


「タカシのことだから気付いてるかもしれないけれど、またまた変わった人が出現しているよね」
「じゃあ聞くけど、変わっていない人間が存在すると本気で信じているわけ?」
「なんだか今日のタカシ、いつもにも増して変ね」
「もう、全然話が進まないよ。それで何の用?」
「わかった、サーフィンできなかったんでしょ。だからご機嫌斜めなんだ」
「もういいから、要件言ってください」


「水ねだり魔女のユウちゃんがバス停にいる時間に合わせたみたいに反対側のバス停に立つ男がいるよね、2週間くらい前から毎日。朝の9時前後と昼前に必ずいるのよ。それなのに全然バスには乗らないし、降りてくるのも見たことない。ちょっとおもしろくないですか」
「全然思わないね」
「ほんとに毎度毎度アイソないお返事ですこと。でも、あたしとしてはすごく興味があるわけですよ。だから、わかるでしょ」
「全然わからないけど、その男ならもう店に来たよ」
「えっ! 早く言ってよ。もちろん、抜かりはないでしょうね」
「そういえばシャンプーしている最中も話をやめなかったな」
「あら、もう仕事できあがってるのね。これでめでたく契約成立ね」


そんなこんなでヒマする美容師である俺はカオリに押しきられた体を装いながら今回も報酬に目がくらんで依頼を受けてしまった。


〚水ねだり魔女のパパの物語〛

自分の名前を書いた離婚届を置いてあの家を出て15年が過ぎた。凡庸な言い回しだがずいぶん昔のような気もするし昨日のようにも思える。だが、俺が逃げだしたことには変わりない。上司にパワハラされていたとか、出産後ひどくなった妻のメンヘラに耐えられなくなったとか、義理の母親が苦手だったとか会社の部下と特別な関係になってしまったとか原因らしきものを並べ立てることはできるけれど、どこまでいってもそれは言い訳に過ぎない。当時の俺は嫌な上司のもとで働くことや妻の機嫌や体調を最優先で気遣うことの意味を見出せなくなっていた。


出会ったときからサキは危なっかしくて放って置けなくて気が付くと結婚していた。それなのに産後ウツから始まった不調が長引き悪化し精神病院に入院したタイミングで俺は彼女のもとを去った、なんてきれいごとを言うつもりはない。棄てたのだ。もうすぐ5歳の誕生日でプレゼントを楽しみにしていた娘のユウリを残していくのはさすがに申し訳ないと思ったけれど義母が来てくれていたので何とかしてくれるだろうと振り切った。


それから15年が過ぎたある日、仕事から帰ると家財道具のいくつかが消え、手紙が残されていた。



わたしは自分が何をしているのかわからなくなりました。パワハラや家庭の問題で苦しんでいたあなたを救えるのはわたししかいないと思い込んで世間的に言えば駆け落ちまでしてしまったけれど。わたしは知っていましたよ、あなたがずっと罪の意識に苦しんでいたこと。そういう気持ちって伝染するんだよね。だからわたしもあなたと暮らしていることが後ろめたかった。特に幼い女の子を見ると苦しくなった。あなたもそうだったよね。女の子から目をそらすのを何度見たことか。


あなたはずっとわたしを見てはいなかった。振り切ってきたはずの前の奥さんと娘さんのことだけを考えていたよね。だけど、わたしにも妙な意地があった。人の旦那さんを奪ってまで故郷を出てきたのだから幸せにならなければならないと思い込んでいた。簡単に諦めるわけにはいかなかったのよ。でも、もうやめましょう。あなたを責める気はありません。すべて自分で決めたことですから後悔しても始まりません。前を向きたいと思います。
さようなら


彼女が出ていくなんて考えたこともなかった。手痛い裏切りだと思ったが因果は巡るというフレーズが浮かんできた。かつて妻子を棄てた俺は15年たって女に棄てられた。棄てたから棄てられたのだ。因果応報って本当なんだなと涙も出なかった。破綻へ至る道のりとも知らずにこんなところまできていた。


気が付くとずっと苦手だった義母の家の前に来ていた。家は朽ち果てるどころか増改築されていたし庭には何種類もの花が咲き誇っている。ガレージにはクルマがありサキとユウリがここで暮らしている確率は高いと思われた。それなのに内心がっかりしている俺がいる。夫であり父親であり婿でもあった俺の不在にもかかわらず彼女たちの暮らしは何事もなかったかのように営まれているらしい。


そうやって器の小さすぎる思考をめぐらしているとサキが玄関から出てきてクルマに乗り込んだ。俺はとっさに尾行を始めていた。サングラス効果で顔は隠せているはずだし、当時より10キロはやせているのだから大丈夫と自分に言い聞かせながらあとをつける。しばらく行くとコンビニの駐車場に入った。俺は隣の家電店の駐車場に停めて様子を伺う。サキは敷地境界線あたりに慣れた様子で縦列にとめると裏手に回った。職場を突きとめた。


キャップをかぶりマスクをしてクルマのドアを開けた。それなのに突然のフリーズ。サキは妙なところで勘がよかったのを思い出して怖くなったのだ。いったい俺は何がしたいのだろう。


「実際、後悔しかないです。後悔するのは負けたみたいで絶対後悔するものかと思ってきたけど。今回ばかりは……」


美容師は黙って俺の話を聴いてくれていると思っているが、それにしても何も言わない。
「これからどうしたらよいのか。途方にくれるってこういうことなんだと今知りましたよ。あなただったらどうしますか?」
俺はつい無茶な質問をしてしまった。


「何も決められないのだから同じ生活を続けますね。働いて食って寝れたらそれだけで満足する。そうしているあいだに自分の気持ちに気付くかもしれないし身体が勝手に動き始めるかもしれない。どちらにしてもあなたの新しい物語はすでに始まってますよ」
「新しい物語? 確かに休暇を取り気がついたらこちらにきてましたからね。実をいうと会社辞めようと思っていたのですが、話をしているうちに仕事に戻る気になっているので自分でも驚いています」


あーでもない、こーでもないと日々考えてしまうだろうけれど働いて食って寝るを最優先すると決めた。そしてひと月たったらサキとユウリが暮らすこの街を再び訪れてしまうだろう。俺は俺自身がどのようなアクションを起こしていくのか起こさないのかをまだ知らない。ひとりよがりな秘め事を抱えたまま俺の現場に居座ってみようと思い始めていた。




次回へ続く。


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