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脅かされずに、怯えずに。
トランスジェンダーや、LGBT +Qが流行る時代になりましたね。
同時に、それが浸透し、自由が謳われるようになりましたね。
しかしながら残念なことに、トランスやセクシャルという言葉を都合よく使い、
配慮されようと相乗りする人もちらほらと出てきて、本当に「それ」で
苦しんできた人たちへの理解があやふやになってしまうようにもなりました。
トランスを受け入れることが、いけないというわけではないと私は思う。
自分がそうだから、というのもあるかもしれない。
ただ、もしもこれが病気だとしても、矯正できるものでもないと思う。
脳が間違えた、だとか言われてたら傷ついてしまうけど、
もし本当に脳が自分の性自認を間違えたとして、
それを正すとしたらあとはもう洗脳するしかない。
自分ではどうにもできないのだ。
だからどうか、脅かさないで!
私たちの感じ方がおかしいのはもうわかったから!
十分過ぎるほど言われてきたから!
だからどうか、もうトラウマを増やさないで!
「こちらから見れば貴方達の方がおかしい」
だなんて言い返すつもりは全くないの。
いろんな人がいていいと、経験したからこそわかってるもの。
どうして、理由にトランスを多用するの?
どうして、普通に生きている人を不幸にするの?
どうして、頑張っている人を蹴落とすようなことをするの?
どうして、優しさと気遣いを無下にするの?
ひどいじゃない。
ひどいじゃないか。
そんなの、あんまりじゃないか。
あまりにタチが悪い。
だって、だって、こちらからしてみれば、
トランスと名乗る人が現れることは、一種の希望ですらあるのに。
(ああ、一応言うと絶望は、おかしいと言われることでは決してない。言われなれているまであるから、耐性はあるのだ。上に書いたように、名前を都合よく使い、傷つける人がいる現実だ。中学の頃、唯一と言っていいほど仲の良い友達がいた。あるとき私も性同一性障害だと言ってくれたが、彼女は明らかにノーマルだった。そのあと彼女は、「だって生理やだもん」などと抜かしやがり、非常に遺憾であった。怒りがなかなか収まらなかったものである。同時に絶望を感じた。この手の人間は、思考が歪んでいて、正常だと自覚しているために非常にタチが悪い。)
絶対にやる奴が悪くて、それは明快なのに。
名前を勝手に使うから、こちらまで悪い人になったように思う。
理解を得ることも難しい上に、そんなことが山積みになれば、
いつまで経ってもユートピアの希望は見えない。
今でさえ嫌われるのだ、ゲイは。
勝手に美味しいなどと言われるのだ、レズビアンは。
人知れず戦ってきた人間をもうそっとしておいてくれないかなぁ。
もう手のひらは求めないから。
それは叩くための手だともうわかったから。
優しさと善意からくる手のひらと、傷つけるためだけの手のひら、
その区別ができるほど俺は上手くできていなくて、
その分別ができるほど俺は優しさに触れてきていない。
泣かせるね、優しさ故に敷いてきてくれた法案も、視線も、言葉も、
もう全部怖い。
ずっと怖い。
おまけに体は気持ちが悪くて、人の視線から逃れるように俯いてしまう。
脅かされないために強くあるのではなくて、
怯えないために人は強くあるのではなくて。
会話をするために強さはあるのだと思うよ。
自分の意見を、否定されてもなお話せるように。
どうありたいかを、投げ飛ばされても伝えられるように。
どう足掻いても脅かされる人生で、
どう頑張っても怯えてしまう人間だけど。
手を繋いだらそれこそドミノのように倒れてしまう弱い人間だけれども。
胸を張れるように。
それだけを願って。
毎日こんなことを考えているのかと問われれば否。
貴方だって、毎日私が嫌いだと、考えているわけではないのでしょう。
それを知っているから、たまに出てくる俺への呪詛には目を瞑るよ。
呪詛返しがしたいと思ったことなど一度たりとも。
その傷がどれだけ深いか知っているから、どれだけ貴方が嫌いでも、
傷を返すことはないよ。
残念ですね、傷を知らない人間が優しくなれるわけがないので。
傷をつける弱さと、傷つけられる弱さが、一緒じゃないことに安心する。
どうにかして、明日もいきるよ。