古賀貴信プロフィール紹介
こんにちは、低体力改善専門トレーナーの古賀貴信です
私は病後や加齢によって衰えた、体力、筋力、そして元気を取り戻すための指導を行う専門家です。
私がこの活動をしている理由、それは私自身が咽頭癌を患い、病気の後遺症で体重も66kgから、わずか2か月間で57kgまで減ってしまって回復に
大変な思いをしたからです。
その経験から、私は病後に衰えた、体力、筋力、そして元気を取り戻すための体力回復改善の専門家として活動しています。
なので、病後に体力が衰えてしまって中々戻らない。年齢を重ねて体力の
衰えを感じる等、少しでも当てはまる方は一度、お気軽にご相談ください。
あなたの改善したいことを、お聞きし問題解決のために必要なことを全力でお答えします。
もう年だからとか、病気したからとか言って諦めないでください。
運動、栄養、休息、この3点を整えていけば、健康な肉体を手に入れて
しかも、これから先も太りにくくて丈夫な体を維持していけます。
私と共に元気な体を作っていきましょう!
期間は3か月間が目安です。
健康な体になったら、やりたかった様々な事を現実化していきましょう!
どうか貴方の元気回復をお手伝いさせてください。
今回はそんな私の人生の歩みを書いてみました。
読んでいただけたら嬉しいです。
1971年3月16日 福岡県八女市で生まれる
男4人兄弟の次男です。
3歳の頃からターザンに憧れて、なぜか裸でいつも遊んでいたら冬でも上半身を裸で過ごすようになっていました。
5歳の頃に当時のTV番組、小川ひろしショーに呼ばれ、両親と共に東京に行ってムックと遊んで帰ってきました
(両親の旅費もTV局が出してくれたそうです)
人生で初のフライトでしたが、当時の私は雲の上に鬼が住んでいると思っていて、雲の上に何もない現実にがっかりしたのを覚えています。
結局、小4まで裸で風邪一つひきませんでした。
小6の時に父が急死、脳梗塞でした。子供ながらに父の人生を振り返り、家の為に生きた不自由な人生だと結論付けて、悔しくて悔しくて、自分は自由に生きると決めました。
学生時代の私
中学生の時は剣道部に所属してましたが、さぼってばかりでパソコンの
プログラミングにはまっていました。
高校は商業高校でしたが勉強はやる気ゼロ、学校さぼって友達の家でたばこ吸ってました。
あと中学生の頃から無免許運転でたまにバイク乗ってたんですが、免許を取れる16歳になる少し前に無免許運転で捕まって停学処分になっています。当時はバブル全盛期、就職すれば楽しい人生が待っていると期待に胸を膨らませながら、のんきに日々を過ごしていました。高校2年生の時に縁あって、中国武術の蟷螂拳を習い始めました。
なぜか、私のあこがれはジャッキーチェンでは無く、映画「刑事物語」の主人公でいつもヒロインから振られる役の武田鉄矢だったのです。その時、武田鉄矢が戦闘シーンで使っていた中国武術が蟷螂拳(かまきり拳法)だったのでした。
社会人になってからは
高校卒業~19歳 ガソリンスタンドで働きながら車を改造して当時大好きだった矢沢栄吉をノリノリで歌いながら運転していたら、警察に63km(制限速度40kmの道路を103km)のスピードオーバーで捕まり免停3か月、仕事が出来なくなり退社、このころは武術もさぼって彼女とデートばかりの日々でした。
19歳~21歳 ロッテ九州工場で雪見大福を作る日々、当時工場内ではアイスは食べ放題でしたので一生分のアイスを食べたと思います。ある日、急に桜島が見たくなり、ヒッチハイクで3日程、旅に出ていたのですが会社に連絡してなくて、無断欠勤扱いになりクビになりました。
21歳~23歳 施設園芸品を販売施工する会社に入社、現場で作業中にガラスの破片が腕に落ちてきて2か月の入院、ケガした左腕以外は元気だったので、昼間は病院を抜け出してパチンコ店通い、この頃はパチンコに、はまっていて色々研究していました。
退院後、現場から営業部に配置転換となり、毎日深夜まで残業の日々、配属される部署によって、労働時間のあまりの違いに嫌気がさして、頑張った分だけ収入が欲しいと思い退社
23歳~24歳 職人になりたくて左官の修行、しかし、あまりの日当の安さに耐えきれず(当時の日当5000円)やめる
このころは実践喧嘩空手の蘆原空手にはまって、仕事半分、空手半分の生活でした。
当時お付き合いしてた彼女からは「私と空手とどっちが大事!」などと、よく怒られてました。
この時期は私の人生で最も働いていない時期です。
24歳~26歳 水回りのメンテナンス会社、貯水槽の清掃や配管の詰まり水漏れ修理などを業務とする会社に入社
しかし、ここでも会社務めが嫌になり、サラリーマンを続けることを諦める
26歳~ 水回りのメンテナンスをメインに独立起業
27歳 実家の母から私の名義で250万円の借金があると
カミングアウト!(バブルの頃までは親が子供の
キャッシングカードを勝手に作れたそうです)
仕方ないので私が払うと決めたら当時の恋人から
「親の借金を子供が払うなんてありえない!」
と怒られて、8年間のお付き合いに終止符を
打ちました(フラれました)
30歳 知り合って半年の女性と授かり婚、3人の子供を授かりました。
32歳 法人を設立
33歳 このころ詐欺にあい、サラ金からの借り入れが500万円 になり返済の為、昼夜働く
39歳 自社事務所を購入建築
43歳 すべてが嫌になり廃業
その後は軽トラックのドライバーとして自営してました。
私の人生のターニングポイント
39歳の時から弟子入りしていた、大気拳の佐藤聖二先生が、私が44歳の時に54歳で亡くなられた事がとてもショックでした。
病名は胆管癌(たんかんがん)でした。あんなに練習してあんなに強くても癌には勝てないのかと、死んで全てが無になるのか!と落胆して努力することが馬鹿々々しくなり
しばらく何もやる気が起きませんでした、その後、すぐに出会ったのが斉藤一人さんの教えでした。アドラー心理学を学んで、たまにカウンセリングしていたのですが
魂や死に対する考え方はアドラーには私が納得する答えが無くて、人の生き方、なぜ死ぬまで学び続けることに価値があるのかについては、斎藤一人さんの考え方から学びました。そして私の人生の指針(人に親切にして楽しんで生きる)という考え方が確立されました。
そして私の人生で最も激動だったのは2022年
2022年1月 左の首(耳の下)が腫れ始める。痛みもないので、そのうちに治るだろうと放置
2022年4月 あまりに腫れが大きくなるので(ピンポン玉の半分くらい)
病院に行ったら咽頭癌と診断、さすがにびっくりして、その夜は中々寝付けませんでしたが、翌日、目が覚めると「あ!生きてる!」と言葉がでて、びっくりした。4月末から九大病院に入院、私から佐藤聖二先生を奪った癌には死んでも負けない!
九大病院で一番元気な癌患者になる!と決意
治療方法は抗がん剤と放射線との事でした。
抗がん剤を使うと食欲がなくなる、放射線治療は患部(のどの部分)を放射線で焼くので痛くて、これまた食事ができないと聞いたので、とにかく体が元気なうちに鍛えようと考えて、毎日早朝から3~4時間の稽古と病院食を食べ終わってからの追加の食事で私の体重は入院から2か月で62kgから66kgまで増えて、しかも結構なマッチョになっていました。しかし放射線治療の影響でのどが痛くて、何も食べられない。唾を呑み込みこむ事さえ痛い!食事も食べられないので、毎食プリンやヨーグルト等を食べてカロリーを取る、しかも味覚障害で味がしない、コロナのせいで外出も外泊も出来ない、お見舞いもNG、病院のスタッフと入院患者の友達たちが話し相手の日々、しかし病気を治すには病人らしくない行動をするのが一番という信念のもと、とにかく元気に明るく笑ってました。
2022年7月末 コロナの為に一切外出できない入院生活も終わり、 退院
退院の際に看護師さんから、「古賀さんは患者の見本でした」
と言ってもらったので、理由を聞いたところ「古賀さんは何でも自分で考えて行動して常に明るくて絶対に弱音を吐かなかった、今までそんな患者はいない」と説明してくれました。
日頃の自分の行いをちゃんと見てくれてたんだな!
と報われる思いでした。
2022年8月 離婚して一人暮らしを始める
2022年9月 自電車で転んで頸椎を痛めて、手足がしびれ始め る、仕事は何とか可能な状態
2022年12月 トータルウェルネスアドバイザーという仕事を知って今年のさまざまな出来事に今まで生きてきた人生に、そしてこれから生きていく人生に意味合いをつけて「健康指導者として人類の健康に貢献していく人生」を選択
私の生きる道
現在の私は癌細胞も消えてなくなり、健康な体を手に入れています。私と同じように病になって体力が落ちてしまった人や加齢によって体力の衰えを感じる人が再び元気で楽しく生活できるように、本来の自分に戻れるように、武術や哲学、心理学をベースとした古賀メンタリズムと運動、栄養、休養からなる健康術を伝えています。