伝え方の難しさ

数字を1伝わらないから10まで数えてみてください。
それが終わったら今度は10から1まで数えてみてください。
同じ数字を数えているはずだが、違いに気づく人はいるでしょうか。
いち、に、さん、・・・・じゅう
じゅう、きゅう、はち、・・・・いち

7という数字が1から数えた場合、「しち」
10から数えた場合、「なな」
この違いについて人から言われた時、とてもハッとしました。

日常では、数字は同じなのに発音が違うことを意識して使っていないのではないでしょうか。
何を言いたいのかと申しますと、お互いに共通言語で会話をしているつもりでも伝えたい事が意図したとおりに相手に伝わるとは限らないということです。
言った言わないのトラブルや業務が指示通りに行われないといった良くある
話は、言葉の共通認識がされない事が理由の一つになると思います。
共通認識で会話が成立することの方がまれと思っておいた方が良いということでしょうか。

命に係わる状況や失敗が許されない業務など、言葉の認識に違いがあっては大変なことになります。ただ、共通認識が曖昧になりがちな言葉に対していちいち確認し合っていても時間ばかりかかり仕事や会話が前に中々進みません。気の合う人との簡単な会話であればちょっとのズレがあっても笑い飛ばして終わることができるので、あまり意識しなくてよい範囲だと思いますし
、逆にそういったところも会話の面白さだと思います。

一語一句確認することは契約の場面では必須ですが、仕事上のやりとりはスピード感も求められるのでなかなかそうはいきません。
重要な会話をするときほど文脈を意識して伝えることが必要なんだと恥ずかしながら最近気づいた次第です。文脈を意識することで言葉の共通認識が会話が進むにつれて段々とされていく。

しかし、私は文脈を意識して人に伝えることが壊滅的に下手なのです。
1、2,3と段階を追って人に伝えることができません。
自分の頭の中ではストーリがあるのですが、相手には9、10の部分から伝えるので結果しか伝えられていないわけです。相手に質問を受けて初めて1,2、3といや、5,6から話せるといった感じです。質問を受けても頭の中のストーリーにチャプターが無いので、相手にとって本当に聞きたい事が伝えられないといった事が起こります。自分にとって面白いと思っている部分しか伝えていないのです。しかし、それは相手にとっては文脈が無いので全然面白くもないし、むしろ理解不能を招きイライラさせてしまいます。
文脈が意識できれば、相手に一番伝えたいことを一緒に楽しんだり、理解を得たりすることができます。仕事では進めてほしいことを正確に読み取ってもらえます。

勉強はからきし出来ないので、頭の能力の問題だなとこれまでは諦めていました。しかし、ある講演動画でそれは間違いだと気づきました。

講演動画されていたのはの中でお話されていたのは、自己紹介は人生で簡単なものも含めて一人当たり6万回行っているそうです。営業職の人はそれ以上。人生の様々な場面で自己紹介を行っています。それなのに自己紹介を自信を持って出来ますと言える人はなかなか居ません。反対に、自己紹介と比べたら回数は遠く及ばない車の運転は自信を持っていると答える人が多いようです。
その違いはどこから来るのか。

それは「学び」があったかどうかの違いだということです。
運転は教官に車の運転方法やルールを学び、国から運転をしても良いというお墨付き(免許)をもらえます。学びがあることで方法が身につくので出来るという自信が持てるわけです。
一方、自己紹介は幼稚園、保育園それ以上に幼いころから行っているにも関わらず、それだけを学ぶという機会はありませんよね。
私の文章だとざっくり過ぎますがそういった内容でした。

この話を聞いて、またハッとしました。学び、方法がわかれば相手に伝わる伝え方ができるかもしれないと。学びがなければ知らないわけですから、それは出来ないよね。確かに方法を知っていることは出来ています。
単に学びを避けていただけなんだと。学びが必要なことに気付けたということも大きかったです。

出来ないことが見つかってしまっても諦めず、まず学んでみてから判断しようと思います。学ぶというチャレンジ。チャレンジが好きなので一石二鳥です。


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