そばにいること。言い続けること。
罪悪感ってやっかいだ。一度罪悪感を持ってしまうと簡単には消せない。忘れようとすればするほど、さざ波のように押し寄せて押しつぶされそうになることがある。それが大切な人への想いからだったらなおさら。どんなに周りが「そんな罪悪感持たなくていいよ」「あなたのせいじゃないよ」って言っても、その重さがすぐに軽くなることはない。
誰が何といっても自分だけは自分を許しちゃいけない。
心の優しいひとほど、自分で自分をそうやって罰してしまう。
「おかえりモネ」のみーちゃんも、そんな優しい子だった。
何年も自分を責めてきた女の子
モネの妹みーちゃんは、3.11のあの日、動かないおばあちゃんを置いていってしまった自分をずっと責めてきた。きっと何度も声をかけたんだろう。逃げる途中でもおばあちゃんを助けてって叫んだのかもしれない。でも逃げてしまった、と自分を許せなくて責めてきた。おばあちゃんは助かったんだし。まだ中学生だったんだし。大人に話せばそんな言葉もかけてくれるだろう。でもみーちゃんは自分を責めてたった一人で何年も抱えてきた。優しい声をかけて許してもらうことも、してはいけないと思ってきたのかも。
何度でも言う。あなたは悪くない。
何年も言えなかった罪悪感。みーちゃんは一度、言わずに立ち去ろうとしたけど、モネはみーちゃんの手を離さなかった。だから言えた。(まっすぐ妹を見つめるモネと、目があちこちに動いて、意を決して言葉を吐き出す前に一瞬、唇を噛んで言葉を絞り出すみーちゃん。流れたのかどうかもわからない涙。静寂。ふたりの表情も演技も演出も繊細で目が離せない)
話せてよかった。でも罪悪感を消し去ることは無理。
まずは「ここが痛い。まだ痛む」って言えたみーちゃん。言える場所を作ってあげられたモネ。でも「この先もずっと痛い」みーちゃんに、モネはどうするのかと思ったら、海でみーちゃんにこんな風に声をかけた。
みーちゃんが自分のことを許せないって思うのは仕方ない。でも私が言い続ける。みーちゃんは悪くないって。頭の中の記憶は消せない、記憶も私たちを隔ててしまったものも消えない。だから、みーちゃんが何度でも自分を許せなくなるなら何度でも言う。みーちゃんは悪くない。
きれいごと、の強さと優しさ
そんなの言われたって無理だよ。自分を許せない気持ちは消えない。
罪悪感を消し去ることなんて無理、というみーちゃんに更にモネは言う。
こんな言葉、きれいごとで何の役にも立たないかもしれない。でも言う。みーちゃんが思い出すたびに私が言う、みーちゃんは悪くない。
罪悪感を無くせなくてもいい。また責めてしまってもいい。罪悪感持つ必要ないよ、みーちゃんのせいじゃないから気にしないで、なんて安易な言葉ではなく、みーちゃんが罪悪感を持つことも、自分を責めてしまうことも、そのまま受け止めて、その上で声をかけ続ける。
みーちゃんの心が軽くなるまで言い続ける、とか、私がみーちゃんの辛さを受け止める、とか、お姉ちゃんを頼って、とかそんなセリフになりそうなところを、「ただただ言い続ける」と言わせる。
きれいごとだっていい。
役に立たなくたっていい。
かつて役に立てなかった自分を責め、誰かの役に立ちたい、と気象予報士を目指したモネが「役に立たなくてもいい」と言う。「役に立ちたいって結局自分のためだよね」と言われ、役に立ちたいと島に帰ってきたことを「きれいごと」と言われて自分と向き合って考え続けたモネが「きれいごとだっていい」と言う。何とていねいな物語なんだろう。どのセリフも最初からずっと繋がっていて、じんわりと噛みしめる喜びに浸ってしまう。
姉妹ふたりの小さい頃の仲良し映像もよかったなあ。
モネとみーちゃんもニコイチなんだよね。
やさしいからこそ「役に立ちたい」と苦しんできた
モネはみーちゃんで、みーちゃんはモネだった。
お互い大好きだからぶつかることもあったけど(主にみーちゃん)お互いが安心できる居場所になったようで本当によかった。
忘れないって大事だけと苦しいね。
だから、ときどき忘れて笑ってね。
空から見守ってるようなおばあちゃんの言葉が沁みました。
おばあちゃんだって、ふたりが笑ってるのが一番嬉しいはず。
おじいちゃん龍己さんだって、孫が幸せならそれでいいって言ってたし。
言い続けること。それは大事な人への特権
そういえば「何度も言い続ける」というセリフを聞いて、10年以上前に尊敬する女性に「子供に何度も言い続けてあげられるって親の特権だよね」って言われて、目からウロコだったことを思い出しました。「何とかしようと思うからしんどくなる。20歳まで、大丈夫と思えるまで言い続ければいいのよ。淡々とね」と言われて、何度叱ればいいんだろう、何年言い続ければいいんだろうと、溜息をついていた、私を含めた悩めるママたちの心がスッと軽くなったことを覚えています。
おかえり、モネのタイトルの深さ
この回の冒頭で、久しぶりに会えた登米のサヤカさんにモネが言ったこと。
わたし、サヤカさんみたいになりたい。誰が来ても受け入れて。いつでも行っといでって送り出す。帰ってきたらおかえりって言ってあげる。
ああそうか「おかえりモネ」は、一度ふるさとを離れて、成長したモネが帰ってきて「おかえり」って言ってもらえるだけではなく、「おかえり」って言ってあげる存在になる、という意味も含まれていたのか。あと2回でドラマが終わるここで、そんな深いタイトルだったと教えられたことに唸ってしまう。もう、もう、なんてドラマなんだーーー!(メチャ褒めてる)
あんな大人になりたいって思える大人たちが本当に最後までカッコいいなあ。サヤカさん。龍己さん。カッコよくて惚れちゃうよ。
山も、海も、空と水でつながってる。
何も関係ないように見えるものが、実はつながってる。
どの回も、どのセリフもあちこちにつながってる。
モネもつなげる人だった。
もうすぐ最終回、ってとこでみーちゃんの抱えてきたものの重さが発覚し、あと2回でどうやってまとめるの!?って一瞬ドキドキしましたが、ここまで積み重ねてきた、モネが周りの人に助けられながら、ゆるぎない心を構築するまでを丁寧に描写してきたこと活きていて、この1回でもスッと納得できました。
どんな着地点を見せてくれるのか、本当に楽しみです♡