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朝ドラヒロイン受け止められ方の難しさ

NHKの朝ドラ「おかえりモネ」を毎日楽しみにしています。来週で終わってしまうのがとてもさみしい。40年近く朝ドラを観ていますが、こんなに丁寧で人の心の中にある痛みに寄り添ったドラマがあっただろうかと思えるくらい、毎回たくさんのシーンやセリフに惹きこまれながら観ています。朝はお弁当作ったり子どもを送り出したり忙しいのに、流し見できなくて、8時にドラマが始まるとすべての手が止まってしまいます(笑)。演者さんが素晴らしくてちょっとした表情もセリフも一秒だって見逃したくない。

Twitterで同じように朝ドラを楽しんでいる方のツイートを見て、そうそう!と共感したり、そんな細かい部分気が付かなかった!すごい!と驚いたりしています。#俺たちの菅波 タグも楽しい。(最近出番が少ない菅波先生欠乏症候群) そんな中、稀に、いや結構な割合で辛辣な意見を目にすることが多く。

えっ!? そんな風に思われちゃうんだ?
自分がめちゃめちゃ心うたれたシーン、うんうんそういうことってあるよね、と感情移入した描写やセリフを、予想外の方向から否定する意見を目にして驚きます。

激しく拒否反応を示す意見に驚いた

いや、真逆の意見を否定しているわけではないんです。ドラマにどんな感想を持ってもいいと思うし、それを口にする権利はある。視聴者全員を満足させる作品なんてないだろうし、共感できなくたっていい。今までの朝ドラだって好きじゃない、苦手、という意見はあった。あの作品は好きだけどこっちの作品は好きじゃない、その逆もまたあり。自分は基本的に朝ドラは全部好きで、多少ツッコミどころはあっても何だこれ、とドラマ自体を否定するような作品はないのですよ。(昔の朝ドラなんて、今見るとツッコミどころいっぱいあるよ…と思うけど、それはまた別の話)

だからドラマが好きじゃない、嫌い!という意見に異を申し立てる気もないし、今までだって「そういう意見もあるんだなあ」くらいにしか思ってなかったんですが、「おかえりモネ」に関しては、モネやモネの行動を否定する言葉が、たまにめちゃめちゃ辛くなってしまって、フォローを外してしまっりミュートにしてしまったりした。
※ミュートはツイートを一時的に見えなくする機能です。

なんでだろう。ツイッターのタグにあった #うちのモネ  大好きなうちのモネを否定されたような気持ちになってしまったのかな。入れ込みすぎです(苦笑)。だって好きなんだもん。子供か! 

少ないセリフだからこその繊細な演技に唸る

自分が今回、おかえりモネ、特にモネを演じている清原果耶さんが素晴らしい。セリフが少なくても、少ないからこそ繊細な演技、表情で心情を表現していること。嬉しい!楽しい!悲しい!という、わかりやすく感情を出すモネではないから、こっちも想像力をフル回転して、記憶を引っ張り出して、ああモネはこう感じているのかなって、受け手の感情を掻き立ててくれる。楽しい!悲しい!ってわかりやすく表現する、できないモネだからこそ伝わってくるものがある。なんて深い演技。19歳でこんな表現ができるなんてすごいなあって毎回感動しているのです。

でも、そこにあまりよい印象を持たない方もいるらしい。
感情表現がわかりにくい、暗い、ワガママ…そんな風に一ミリも感じたこともないので本当に驚いた。受け付けない方が一定数いるのはなぜか、なぜこんなにいたたまれない気持ちになるのか。自分の考えるこの朝ドラヒロインの魅力を書き連ねながら、受け入れられない方の視点も、想像力をフル回転して考えてみます。

繊細過ぎてわかりにくい??

上記で書いた、「わかりやすく感情を出さないからこその繊細な演技」が、わかりにくい、と取られているらしい。暗い。思慮深い、ではないのか。モネが震災のその場にいなかったことをずっと引きずっているという設定がそのそも共感できないと思う方がいる。でもきっと現地でもいろんな状況、いろんな想いの方がいて、温度差はあるのではないだろうか。気象会社同僚のマモちゃんの言う「何もない人なんていない」し、痛みに上も下もない。モネは仲間も家族も大好きで、本当に大切に思っていたからこそ、「自分の夢を追いかけてその場にいなかった、何もできなかったこと」が辛くて辛くて、島を出たのではないか。辛いってこともりょーちんを見てたら、辛いなんて言えなくてずっと心のに澱のように溜まっていったのではないか。人の役に立ちたい、と思ったのではないか。

おせっかいではなく第三者だからできたこと

みーちゃんとりょーちんの話に入っていったのも、モネが介入すべきではない、モネがいないと成り立たない関係なら続かないのでは、という意見もチラホラあった。でも当事者じゃないモネだから、ふたりがお互いを大事に思っていることに気づいて言語化してあげられたと思うのです。新次さんにりょーちんが吐き出したことを伝えたのも、余計な事なんかじゃなく、モネの言葉だから新次さんに響いたんだと思うんです。

「第三者だからできることがある」
「痛い、ここがまだ痛むって言わせてあげるだけでも心が軽くなる」

って言った菅波先生の言葉が効いてる。
この作品は、ずっと前のセリフが、後になってじわじわ効いてくる場面が本当に多くて、すごく練られた脚本だなあと思うのだけど…

私は無力な存在、とか、大きさに関わらず、人が持ってる罪悪感や痛みが、たくさん描かれていたから、自分にある痛みに寄り添ってくれたような気がしてドラマにハマる人と、逆にその罪悪感や痛みに居心地悪さを感じてしまう人は、ヒロインの描き方にも嫌悪感を抱いてしまうのかな、と思ったりもします。私はもちろん前者です。(何度も言いますが否定的な意見を否定しているわけではありません。できれば「わからないけど、わかりたいと思っています」BY菅波先生)

モネは「繫げる」存在

モネは「当事者じゃないからできることがある」「当事者じゃないから人と人を繋ぐことができるということを体現しているヒロインだと思うのですよ。あのとき何もできないって海の向こうで打ちひしがれてたけれど、目の前のことに一生懸命取り組んで、知識をつけて、自分の心と向き合って、うんと考えて考えて行動すれば、誰かの役に立てる。故郷の島と気仙沼にかかった橋のように、誰かのココロとココロを繋げる橋のような存在にもなれた。

あなたとあなたは繋がってるよ、あのこととこのことは繋がってるよって伝えられる存在になった。海と山はつながってる。空もつながってる。気象を通していろいろなものを「繋げる」存在になることができる。自分は何もできないと思っている人だって、誰かの役に立てるし、なんならそこに存在しているだけでいい。そんな優しいメッセージを作品から私は受け取っています。

言葉以外の表現が巧すぎる19歳

ヒロインの心の成長をこんなに細やかに描いた作品は、なかなかないと思うのだけどなあ。ほんと昔はもっとわかりやすいヒロインが多かったし、こんなに視聴者の心も育ててくれる朝ドラに出会えるなんて喜びでしかないんだけど。

言葉で説明するより、どれだけ表情や演技で表現できるか、という脚本に対して、2021年10月18日のあさイチに出演した清原果耶さんは「役者を信頼してくれて、すごくやりがいがあった」と語っていました。セリフ以外でこんなに繊細に細やかに表現できる19歳…おそろしい子! 月影先生もびっくりですよ。(清原さんはデビュー作の朝ドラ「あさが来た」、「なつぞら」、そして同じくNHKの「透明なゆりかご」が素晴らしいのでぜひ機会があったら観て欲しい。映画「護られなかった者たちへ」もおすすめです)

あれこれ書いてきましたが、やっぱり自分の大好きなモネを否定されたような気がして悲しかっただけですね(苦笑)。めちゃくちゃ繊細な表情を見せてくれて、みーちゃんもりょーちんも菅波先生も、たくさんのことを受け止めて一生懸命「わからないけど、わかりたいと思ってる」を体現しているモネを心から応援していたので、その気持ちを否定されたような気がして。

何度も言いますが決して非難をしているわけではなく、これもあくまでも自分の意見なのであしからず。豆腐メンタルなので反対意見受け付けません(笑)  ラストまであと少し。心から愛するモネの世界にどっぷり浸かって朝ドラライフを楽しみたいと思います。

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