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中堅の悩み 内部における役割と嫌なやつにならない努力と、効率とわからないフリ

会社というのは意外と難しい。嫌なことだけがストレスというわけではないのだ。今回は、そういう、ぱっと解決策が思い浮かばないタイプのお話。

まず、大前提として、私は関わる人は可能な限り全員尊重したいし、必ずいいところをみつけて尊敬するという心構えを、わりと強く持っているのです。

まあ、自分って嫌な奴じゃないんですよアピールはこの辺にして、本題に少しずつ入っていきます。今回は、結論からなんていう野暮なことはせず、じっくり語っていきますよ。

内部における中堅ってやつ

私は中堅ってやつなのです。中堅ってなんでしょうね。仕事には慣れていて、日々の業務をこなしつつ、自分である程度価値を生み出せたりして、プロジェクトに参加するとなっても参加することで付加価値がある程度約束されているような、そんな感じでしょうか。

もう少し対外的なことを整理するならば、社歴がある程度あってちょっとした思い付きや困りごとくらいなら聞けばわかりそうで、自己判断領域(もう少し穿った見方をするならば縄張りみたいな。後述の項目でこれが必要なので縄張りという表現も追記しておく)を持っていることでしょうか。

油断をすると勘違いしてくる時期でもあると思います。
そしてそれはたぶん上の人たちは経験済みだったり周囲で見てきていると思うので、おそらく見られていることでもある。たしかに同年代では横柄になってきちゃっている人もいるように感じるのです。

ただ、ある程度の横柄さというのは持っていたほうが新しく入ってきた人やまだわからないことが多い人にとっては頼りやすかったりもするので、自分が獲得していった信頼によるワイルドカードみたいなものの切り場所を考えながら、利己的にならないような横柄さを持っているくらいがバランスがいいでしょう。

中堅はロボットアニメやロボットゲームにおける実践投入機のようなもので、プロジェクトの先陣だったりちょっとした旗振り役だったり、時には地図を描いたりと、とにかく色んな現地判断が求められる立場だと思います。

この現地判断によって、縄張りにおける効果を最大化する、くらいが中堅の持っているミッションなのではないでしょうか。

さて、中堅にはほとんどの確率で、中堅よりも後から入ってきた人というのがいます。同時に、それより前の人もいるのです。ここでいう前の人というのはもしかしたら過去の自分かもしれません。

前の人の活躍があったから、今があるのです。中堅が必ず忘れてはならない大前提はこれ。それでいて、新しいアイデアの障害にならないように工夫したりする必要がある。

後から入ってきた人が、自由にチャレンジできるようにしつつ、その人にも縄張りを作ってもらえるように、まあ気を遣うのだ。

これらを実現するために、最も重要なこととして、色々なことのハブにしやすいようにコミュニケーションコストを支払うことなく何かを相談できるような、いい人でいるというのがあると思うのです。

いい人か。いい人って難しいよな。たいていの人が普通にしていればいい人なんだけど、ここでいういい人というのは、たとえば街にいても、道がわからなくなったときにぱっと声をかけやすい第一印象みたいなもののことなのだ。

嫌なやつになりたくないっていう欲望

私は自分が嫌いです。
学校とか、組織みたいなものになじめたことってあんまりありません。なじめないのがなぜ起こったかというと、たいていは、自分が消えたくなってしまって本当に消えてしまうわけですね。

価値観だってだいぶ浮いていることを自覚しています。

会社にいると、日々そういう感情と葛藤することになる。
でもまあ誰でもそうだよな、きっと。

ただ、これと中堅というものの相性があまりよくないんだと思うんですわ。
中堅は上述の通り、色々なことのハブになる必要があったりするわけで、持っている縄張りの効果最大化みたいなミッションとの兼ね合いなことも多いわけで。

となると合理的判断だったり、その他もろもろの事情を加味して経験則による判断が効率的な場面も増えてくる。

これってあんまり新しい人にとって気分がいいことではない可能性もあるんですよね。

周囲からみたって、まあ普通に生意気なわけです。若気の至りとはまたちょっと違うタイプの生意気さ。これを先ほど横柄さと表現したのですが、本当に油断するとあっという間に手が付けられないほどの横柄さを獲得してしまう可能性もあると思います。

人から好かれていたいんですよね。このnoteを書いたのだって、懺悔に近い気持ちからかもしれません。昨晩、「カウンセリング 仕事」とかで検索したりしてましたからね。

こうして言語化しておくことで、本質的ではないにしろ、ある種ゆるしを自分に自分で与えているのかもしれません。

この「嫌な奴になりたくない」という感情は、給料と相反することもあると思っていて、生活ややりたいことのためにお金は欲しいけど嫌な奴にもなりたくないときに困ることがあるというかなんというか。

縄張り意識も強すぎるとよくないと思うんです。自分が広げていったりファームした縄張りを、新しい人に空けていかないといけないですからね。なんなら、新しい人がチャレンジしてくるくらいがちょうどいいと思うというかなんというか。これが、役割や社会から考えた中堅が求められる役割だと思っています。

ですが、じゃあこれをしていて給料ってあがるんだっけみたいなところはありますよね。鬼のような速度で自分のやれる領域を広げて縄張りを広げやすくして、ファーム力もあげて発展までを早くし続けて、育ち始めたら人にパス。両立するにはこれしかないわけですが、いつかは頭打ちになって給料は上げづらくなりそうなものです。ざわざわ。

どうしようかな。

でもそこの天秤を考えても、いい人でいたいという欲望がどうやら私は強いみたいなんですよね。ほんとに会社員向いてない感あるなあとは思います。

効率か教育か

まあそもそも教育って話もクッソ生意気乙って感じはあるんですが、実情としてあるわけですし、直視しないわけにもいかないわけです。

自分の経験則や社歴ワイルドカードでぱしっとやってしまうばかりだと、後続は育ちません。自分も同じように育ててもらったと思っているのですが、日々速度感や続けるランニング効率が求められる中で、ちょっともたついてもいいことであり、相手が好きそうな仕事を見極めて、コストを払ってでも新しい人にやってもらう必要があります。

そのコストは誰が背負うのかというと、当然もっともっと上の立場の人たちなのですが、どこでそのコストをどのくらい払うかの見極めは、中堅の役割に含まれていると思います。

中堅は、効率と教育のバランス感覚を、人に説明する機会があるわけです。嫌な人になりたくないのなら、嫌な人にならないように気を付けながら。

なんというか、中堅って先輩とはまたちょっと違った立場なんですよね。

もうがっつり中堅なわけです。先輩後輩でもあるのですが、それ以上に自認としてというかになっている役割としては中堅なんです。

ほんとは和気あいあいと楽しく目標に向かって仕事をしていたいのですが、全体目標達成のための効率というものがあります。それを軽視できる立場では、もうないのです。何人関わることかわかりませんからね。

わからないフリって大変なストレス。本当にこれって誠実か、みたいな

わからないフリだったり、そういうことにしておく、だったり。

苦手なことです。

苦手ですけど、あまり時間をかけていられない中で、この手札が一番簡単なタイミングというのがどうしてもあります。

もちろん、利己的にならないようにはしていますが、それでも、相手のことを思いやってのはずが、心の中で哲学すると実は不誠実みたいなことは多々あるワケです。

というか、たいていのことがそうだと思うのですけどね。とある方針で社会を形成したら、そこから漏れるとあるタイプに対しては優しくない社会だった、みたいなやつです。

さてマネジメントのビジネス書にはなんて書いてあるかな……と手を伸ばすこともしばしばあるのですが、これ系の本って流行があり、色々な意見もある中でけっきょくのところ「自分はこうする」という決意をどこかでする必要はあります。

まあ、なにか不誠実さがあったとして、「この本に書いてあったからやりました」と言ってその不誠実さが消えるわけではありませんからね。

ついつい頼ってしまうこの「わからないフリ」ですが、やはりある程度効果はあるようで、新しい人にとってはチャンスだと感じてくれているとも思うのです。実際そこから提案に進んでもらえたりすることは多いわけで。

ただ、これって相手の能力を見くびりすぎているのかな、とか。

おわりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。ちっともまとまってない状態で、ばーっと書いてみました。

最近、眠れないんです。薬も変えながらやっていますが、いまいち効かない様子。
三日に二日間は二時間とかしか眠れず、三日に一回、六時間眠れてそれでなんとか生きています。早死にするんじゃないかなと思うほど。

眠れない日は決まって翌日が仕事です。

仕事、正直、休めるなら休んだほうがいい状態なのだと思います。なんですけど、今の制度とか社会状況からいくとそういうわけにもいきませんよね。難しいところです。休職という制度があることは理解しますし、人が取ることは推奨していきたいですし、復帰後もなにも影響がないように努めるのですが、自分が、となると遠慮のような感情が働いてしまいうまくいきません。

最近では、理想的に社会へ関わる自分と、そんな自分を眺めながら閉じこもる自分の二人がいるような錯覚に襲われます。

『青春ブタ野郎はロジカルウィッチの夢を見ない』というラノベから、恋愛要素だけを取ったような状態です。でもガチでそんな感じ。

もともと、やんわりといって想像力豊かな方で、ヘーゲルの『精神現象学』に心酔している(理解は怪しい)ところから、たぶんそういう感じになるのだと思います。

精神現象学的には、バリキャリな自分と、殻に閉じこもる自分と、別れている自分を近い場所から見つめる自分と、遠くからその三人の自分をぼうっと眺める自分がいるって考えるのかもしれませんが。

それでいうと今回、まとまってないなりに言語化してみて、ようやく遠くから三人の自分をぼうっと眺めてみる自分が形成された気もしてきました。

いい感じに脱線してきましたね。

終わりましょうか。

改めて、なにもまとめず、思うままに書いた文章をここまで読んでくださった方には感謝を申し上げます。ありがとうございました。

今日は休憩して、明日からまた頑張ろうと思います。

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