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フロムソフトウェアについて2

フロムの芸術性は、登場人物、武器防具、道具、ステージ、すべてにおいて感じられる。見える部分はとても繊細にとても具体的に書かれている。
ただし、見える部分だけ。その風景に隠れているストーリーや人物は、どれだけ深みのあるものであろうと、ぼんやりとさえ見えないものもある。
ストーリーだけは具体的に書かれない。どころか、ほとんどどこにも書かれていない登場人物もいる。

流れ流れてゲームをクリアできても、どのようなストーリーのゲームなのか鮮明に理解できる人はほとんどいない。
私は、まったく見えない。かすかに、ぼんやりと見えているだけ。

これは、たとえば人物を説明するとして、その人物の性格や顔そのものを、絵にしていたり、「優しい」「こわい」「臆病」などと表現しないところにある。
「これを絵に描け」
と言われたとき、ほとんどの人はまず黒いペンで輪郭を描くだろう。
そうではない。
このゲームの表現の方法は、まず風景や持ち物、場面を描き、対象を浮き上がらせてくる。しかし、その浮き上がったものがたとえば人と分かっても、笑っているのか、泣いているのか、表情はまったくわからない。
描けた風景、背景から読み取るしかない。行間を読むしかない。

たとえば、↓のような表現。

最後の晩餐とジャンヌダルクの絵画であるが、例えばこのような表現の方法になる。
背景は、拾った道具や、ボスの魂の説明に書かれている。なにげない表現をされている道具の説明をつなぎ合わせたとき、やっとその人物の表情がかすかにわかる。

この方法なので、ストーリーや人物の考察動画が何個もある。ただし、フロムから正解の判が捺されることはない。
その考察動画がとても面白く、これを見るためにまずクリアをする、というのが私の楽しみ方なのだ。
考察動画によると、ボスとの戦闘BGMに歌われている何語かわからないオペラにストーリーのキーワードが入っていたりする。
ある壁のシミに、キリスト教関連の絵画のあとであったりする。

ゲームがうまいだけではストーリーは解けない。実世界の知識も必要なところが、ゲームの世界を超えている。

一番面白いと思ったのは、どう見ても日本の戦国時代のゲームである『隻狼』が、戦国時代でなく、パラレルワールドであり、SF要素のある時代劇ゲームという考察。そう考察する根拠がまったく的外れでないところが本当に面白い。

そして、出てくる人間も、すべて尋常ではない地獄と苦悩に犯されていて、しかも、ハッピーエンドがない。ハッピーエンドなど、どこをどう見ても見つけられない。『ブラッドボーン』など、本当に救われない。
なに一つ救われない人生でも、死ぬときに、
「これで良かった」
と思えたならば、それだけでハッピーエンドといっても良いレベルに、残酷。

地獄を経験している人は、
「地獄のような日々」
という。なんでもない日常の人からは、ありきたりの表現にしか聞こえないが、こちら側からすれば、語彙力がどれだけあっても、最上級の苦しみとして、これが最高の表現なのだ。

このゲームの登場人物はすべからく、地獄の住人であるのに、それをおくびにも出さず、愚痴も言わず、語るに落ちず、目的や信念を貫いていく。

例えば、

この記事のタイトルに使っている人物はフロム一番の有名人「パッチ」という人物。
最初は親しげに話しかけてくるが、崖から蹴落とされてみぐるみ剥いでいくという、外道。しかし憎めないお約束キャラなのである。しかし、パッチを考察した動画を見たときに涙が出た。

この動画を何回も聞いた。心が洗われる。
この動画を見なければ、ただの外道キャラなのだが、知ればこれほどに人間くさく、これほどに純粋で愛のある人物はいない。

私の思うフロムソフトウェアのゲームの主題は、
「救いの手のひらから、こぼれ落ち続けた人を救う物語」
とも思っている。
地獄にも、花は咲くし、光も届く。

フロムソフトウェアのゲームは、下手な小説など比較にもならない物語だ。

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