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憎しみの終点。

ついこの間、どうやら私の憎悪が終わったのを感じた。

こんなこと、本来は書くべきではないけれど、研究好きな私としては、経過と結果を記したくなった。
それに、同じような経験をしている人の助けに、少しはなると思えば。

4年間、あいつみたいに逃げるのは嫌いなので、酒は一切飲まなかった。
たばこはもとから吸わない。
風俗も行かない。
他力で良い気分になるものは一切しない。

憎しみの対象は色恋沙汰ではなく、約束を破り、子どもと会えなくさせたことにだけど、
「次の恋が忘れさせるさ」
と、バカの一つ覚えのように言われるので、これにも抵抗した。そういう人間は、
「俺はその経験はもう済んだ。その歳でまだ経験してないのか?」
と言いたげな顔と声で言ってくる。
「では、そんな経験をしたあなた、なぜあなたの言葉はそんなに軽く、そんなに、なにも語らないうすっぺらな顔なんですか?」
と、言いたいけど、瞬時にムダとわかるのでやめる。

憎悪が消えないのはわかっているので、負の感情をある程度自分で制御できるようになってから、恋愛感情を認めるようにした。

逃げも、感情の置き換えも、ごまかしもしたくなかった。
この苦悩を消すようなことはしたくなかった。

そうやって、真正面から、怨念や呪いの塊と同居して4年。
鬱の入り口と玄関あたりを行ったり来たりしながら、
歯が擦り切れそうなほど歯を喰いしばって、
水中では泣きながら泳いで、発狂して、
残念ながら、つい先日終点にたどり着いてしまったようだ。

良い思い出を苦も無く思い出せる。
良い方向の勘違い妄想も難なくできる。

終点にきたとわかったときの、初めの感情は、とてつもなく寂しい、というものだった。
生涯、この憎悪の種が消えることがないのはわかる。でも、顔を思い出すだけで歯がギリギリと鳴っていたぐらいなのに。
気がふれてもいないのに、頭を抱えて、叫びながら、本当に床をのたうち回った。
この未知の多い感情を俯瞰的に理解するために、呪術の本も買った。結局読んでないけど。

幽霊の記事で書いた、怨念の塊の私のコピー。それを聞いたときはものすごく悲しかった。
こんな苦しくて痛い感情だけの塊なんて、想像しただけで申し訳ない。

そんなことが、
「たった4年か」
と思った。本当に地獄だった。
今は「地獄」という言葉が言い過ぎのように感じられるが、当時はこの言葉では物足りなかった。

でも今は、
「過ぎてみれば、これはレベル1くらいの苦痛だろうな(笑)」
と思うようになった。まだ上はある、と、自然と理解できたのは悪い意味で鳥肌ものだ。

しかし、苦悩から逃げるようなことは一切してないつもりだったけれど、後悔が一つできた。
「憎しみにすがって、寄りかかって生きるのは、今思えば楽だった。」
ということ。
一番の逃亡行為をしていたのが、悔やまれる。

次あるときは、憎しみにすがらず、この地獄の中を、人を信じ、常に前を向いて生きてみようと思った。
経験を踏まえた上で予想すると、常に前向きになるだけで、苦痛レベル7くらいあるでしょうね。(Max5)

結論

地獄からはいつか抜け出せてしまう。
どれだけとどまりたくても自然に抜けてしまう。
なので、余裕ある人は、期間限定のその状況を味わいましょう。
ただし、

  • 頼れる人がいない

  • 本を読まない

  • 運動をしない

  • 信念がない

  • 理想像がない

状態だと、わかりませんでした。
人によりますが、ランニングは鬱病克服できますし、運動はバカにできません。

あとは、大事な人を殺されたとか、はまったく別の話でしょうね。

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