<MBTI>NF型にオススメの進路について徹底考察する①
以前の記事でN型がキャリアで重視することについて論じた。ただし、詳しく論じると長くなってしまうので、記事の中ではNT型とNF型の違いについてはあえて触れなかった。前回の記事はどちらかと言うとNT型よりの記述になってしまったので、今回はNF型の取るべき進路とNT型との違いについて論じてみようと思う。
NT型とNF型のキャリア観の違い
筆者はNT型とNF型をつぶさに観察し、結構な水準で両者のキャリア観がズレていることに気が付いた。そこまで日常では意識されないかもしれないが、満足の行く進路を考えるうえでは重要な違いだ。
筆者の周囲を見ていると、NT型は短期で離職していたり、職場に強い閉塞感を抱えている者が多かった。運良く出世コースに乗っている人間や最初から自分軸でキャリア形成を行っている人間はそうではないが、なんとなく日本型雇用システムのベルトコンベアに乗っている人間の満足度はどう見ても高く無さそうだ。一方、NF型は職場関係で病んだり休職等をしている人間は多いものの、なんだかんだ元の会社に復帰しているケースが多い。
NT型もNF型も前回の記事で書いた「自己決定権」という点では共通するだろう。しかし、そこからが異なる。NT型とNF型のキャリア観の違いを一言で言うなら「達成志向の有無」である。
以前の記事で人間の居場所は主にファーストプレイス・セカンドプレイス・サードプレイスに大別されると論じた。それぞれ家庭・職場・趣味と言い換えても良い。
この内、NT型が重視するのはセカンドプレイスである。学歴とか職歴のような社会的な肩書や収入に直結するような場所だ。必ずしも年収だけが目的ではないのだが、NT型は結果的にセカンドプレイスで何らかの達成をすることを志向することが多い。それは出世かもしれないし、大儲けかもしれないし、歴史に名を刻むことかもしれないが、とにかく何らかの社会的達成が目標となるのである。
一方、NF型は達成志向があまり強くない。確かに人生に悩んだり、自分探しをしたりするのは好きなのだが、筆者の目から見ると、何らかの目標を達成することはそこまで必須条件ではないように思える。むしろ自分探しをしている過程が好きなのではないか?という風にも解釈できるだろう。NF型は確かに「未来」とか「夢」といった概念が好きなのだが、その達成は必ずしも問題ではなく、過程の方が遥かに重要であると考えて良い。3つの居場所の中で最も「達成」という概念と強く結びついているのはセカンドプレイスだろう。したがってNF型はセカンドプレイスとの親和性がそこまで高くないのではないかという結論に結びつく。
達成志向という観点で考えるとNT型とNF型の違いがかなりの程度理解することができる。例えばNF型と関連付けられる「芸術」が最たるものだ。芸術家の中には近代社会を批判したり、どことなく反体制的な雰囲気を醸し出す者が多い。近代の大量生産を批判したポップアートや、既存のあらゆる秩序を否定したダダイズムなんかは良い例だろう。というか、芸術家は芸術家自身の秩序すら批判・破壊したがるところがある。しかし、これらの作品は近代社会に変わりうる何かの青写真を提示したわけではない。近代社会への嫌悪感や物足りなさを表現することはあっても、それはあくまで共感を掻き立てるだけなのだ。一方のNT型はというと、どこまで実現可能かはさておき、どこかしらの面で達成志向があることが多い。例えばマルクス・レーニン主義は資本主義社会を批判すると同時に既存の社会に取って代わる理想社会の道しるべを示している。ここまで極端ではなくてもNT型の批判は「こうするべきだ・こう変えるべきだ」という論調が多く、ダダイスム的な方向に向かうことは少ない。NT型にとってダダイスム化は解決の放棄に他ならないからだ。かなり極端な例で申し訳ないのだが、同じ批判家でも、NTはマルキストでNFはダダイストと考えると両者の本質が(やはり極端だが、物事を考える上では極限まで飛ばしてみるのも大切だ)理解しやすいかもしれない。
やや脱線してしまったが、兎にも角にもNF型がNT型ほど職場での成功や称賛を欲していないことは間違いないだろう。NF型は人生について悩むことが多い反面、何かに向かって挫折するというダメージはNT型ほど大きくないのではないかと思う。こうした違いは筆者の周囲を見ていても現れている。NT型の多くが理想に敗れて職場を短期離職しているのに対し、NF型は休職することが多いものの、離職は避けられていることが多い。その原因は職場における達成志向と思われる。NF型にとって職場でうだつがあがらないことは単にその分のダメージを受けることに過ぎない。ところがNT型にとっては職場で不本意な思いをすることは単に屈辱であるのみならず、別の道を取っていれば与えられたはずの達成を奪われたような感覚になってしまう。いわばNT型にとって職場での不成功は機会費用を伴うものなのだ。したがってNT型の方がダメージは遥かに大きい。
というわけで、NF型はNT型ほど職場での成功を重視しなくても満足感を得られそうである。この前提に立つと、前回の記事で書いたような「自己決定権」を必ずしもセカンドプレイスで求めなくても良くなる。これはNF型にとってかなり朗報だ。セカンドプレイス(キャリア)は現代の日本社会において裁量権・自己決定権が極めて低くなってしまっているのに対し、ファーストプレイス(家庭)やサードプレイス(趣味その他)での自由度は飛躍的に拡大しているからだ。NF型にとって職場は数ある居場所の一つに過ぎないのである。「自立とは依存先が複数あることだ」という言葉があるが、これを考えたのは多分NF型だろう。
NF型の場合はNT型と比べても取りうる方向性が曖昧で、その分直感的な理解が難しくなっている。NT型・ST型・SF型の集まっている界隈は明確なのに対し、NF型ばかりが集まっている界隈は社会的身分となりうるコミュニティとしては稀だ。むしろNF型は他のタイプに混じりながら居場所を探している存在といっても良いかもしれない。
次回の記事では具体的にNF型に向いていると思われる進路を考えてみたい。