
優秀な若者に金融業界への就職を進めない理由
ネットのキャリア論を見ていたり、友人の話を聞いていると、見えてくるものがある。それは金融業界の人間の幸福度や満足度が著しく低いという事実である。金融業界と言ったが、厳密には隣接する保険業や最近流行りのコンサル、更にはメーカーやインフラの文系採用にも当てはまることが多いだろう。最近は理系院卒が金融専門職に就くことも増えているらしいが、いくら専門性があったとしても、本筋は大きく変わらないと思う。
今回は金融業界並びに類似する文系職種への就職をオススメできない理由について考えてみよう。
1.仕事が極端につまらない
金融業界の最大の特徴はここだと思う。はっきり言って仕事内容は全く面白くない。知的好奇心を満たすこともできなければ、創造性を発揮できるわけでもない。ブルシットジョブの代表格である。仕事そのものに価値を見いだせないという事実はこの業界の幸福度に大きな悪影響を与えている。社会にとって必要な仕事なのかもしれないが、それを実感する機会は皆無である。
それに追い打ちをかけるように、金融機関の場合は仕事内容が極端に細かく、激務が要求されることが多い。「つまらなくて楽」なら別に問題はないのだが、金融機関の場合はつまらない上にハードという精神的には厳しい内容である。
恐ろしいことに、この感覚は下っ端はもちろん、かなり役職が上になっても改善されないらしく、閉塞感に拍車を掛けている。優秀な人ですら、人生の意味を見失う人が多い。
2.社内文化が硬直的
しばしばメガバンク等にはパワハラが多いという話があるのだが、筆者はそこまで賛同できない。閉鎖的なアカデミアや専門職の世界にもパワハラは結構あるようだし、中小企業ではハラスメント窓口も無さそうだ。人間の質という観点ではむしろ金融業界はかなり高いのではないかと思う。
しかし、実際は社内の人間関係や文化に適応できずに病んでしまう者は多い。その理由は具体的な上司の人格にあるというより、構造的な問題だと思う。金融機関の場合は細かい事務が多く、リスク回避的な傾向が強い。そういった仕事の性質を反映してか、社内カルチャーが極めて硬直的になりがちである。ただ上下関係を確認するための儀式や、意味のあるのかわからないあいさつ回り、それらに関してもミスが許されず、細心の注意を払わなければならない。軍隊等には負けるかもしれないが、年功序列も厳しく、年次が上の人間がいる場では常に気が抜けない。正直、息苦しいの一言に尽きる。
3.人生の可能性が広がらない
学者や作家といった自由業は職業的に成功すること自体が子供のことからの夢だろうし、成功すればするほど活躍の幅も広がっていくことは間違いない。医師や弁護士といった高度専門職も同様で、有名な医師が学会発表で賞をもらったり、弁護士がセミナーを開いて社会活動を行ったりという例はいくらでもある。独立開業の難易度も低い。
一方、金融業界の場合はこういった幅広い活動はほぼ不可能である。有名な金融機関勤務の人が思いつかないことが何よりの証拠だ。論文や専門書を執筆している人も、特殊な専門職を除けばほとんどいない。せいぜい取締役クラスになってようやく日経にインタビューが載るくらいだろうか。金融機関の人間がそのキャリアを見込まれてテレビ出演している等の話も聞いたことがない。(歌手デビューした小椋佳のような例はあるが、これはキャリアとは別だろう)
金融業界で評判を上げたとしても、社内の出世か転職に有利になるという程度であり、所詮は会社の歯車にすぎない。地域で尊敬が得られるわけでも、自分の作品や発見が後世に残るわけでもない。独立したり、大学教授になれるわけでもなく、生涯現役を目指すこともできない。社会人になってからの人生で何か得られるものがあるとしても、せいぜい社内で管理職になるか、副業でFIREするか、家庭生活を充実させるか程度だ。
4.虚しい競争に巻き込まれる
可能性が広がるわけでもないのに、金融業界の社内では激しい出世競争が巻き起こっている。それにはいくつかの理由がある。
第一に金融機関の場合は活動の幅が狭いため、狭い社内の出世競争しか上昇が見込めるものがない。第二に組織社会であり、自分軸で生きることが難しいため、どうしても出世競争にコミットしなければならない圧力が生まれる。第三に金融機関は業務の独立性が低く、常に権力関係に置かれるため、出世しなければ居心地が悪くなってしまう。年下の上司に顎で使われる屈辱感は相当なものである。
しかし、こうした競争は自己実現につながるとは思えず、狭い社内でのポジション争いという虚しさのほうが勝る。出世競争がちらつくと、どうしても日常生活は堅苦しくなるし、同僚との関係も悪くなってしまう。
更に救いがないのが、出世競争に勝ったところで虚しさを感じることが多いということである。金融業界の競争はプッシュ要因による競争という側面が強く、自己実現につながるわけではない、偉い人にはなんだか寂しそうな雰囲気も漂っている。達成感よりもこの先なにもないという閉塞感や結局得るものがなかったという閉塞感を感じるようだ。そもそも権力者は人から好かれる存在ではない。
そして、会社を離れたり定年した場合は後に何も残らない。再雇用で働いたと人の話を聞いても、それまで媚びてきた部下が冷たい態度を取ったり、本人も権力を失ったことを受け入れられなかったり、色々辛そうである。
仕事に内在する価値を持てないということは、出世や金といった他人軸の競争が価値観の中心になってしまうということだ。こうなると、競争社会に巻き込まれて幸せにはなれない。
5.医者の完全下位互換
ここまで苦しい職業人生を強いられる金融業界の人間だが、一つだけ取り柄がある。それは給料が高いことである。残念ながら、金融業界の唯一の誇りをぶち壊しにするのが医者という職業の存在である。医者はやりがいが多く、社会的地位が高く、仕事内容の選択権も広く、職業寿命も長く、安定性も高い。それでいて金融業界よりも更に給料は高いのだ。
別の業界であれば専門へのこだわりや、自己実現の方向性という点で医者の下位互換とは言えないだろう。しかし、金融業界の場合は仕事自体に内在する価値が乏しいため、金と安定以外に拠り所にできる価値が存在しない。医者より自分たちの仕事が優れていると主張する根拠がほとんど思いつかないのである。(夜勤がないとか、客層が良いとか、一応メリットがないことはないのだが、他の要素に比べれば遥かに小さい)
優秀な人は別の道を考えよう
以上に挙げた理由により、優秀な若者には金融機関や類似する文系職種への就職はオススメできない。勉強が得意な者であれば、第一に医者弁護士公認会計士のような独占資格の仕事を目指すべきだろう。それ以外にも、優秀な人であれば、研究者とか起業家とか色々あるはずだ。理系就職した同級生を見ていると、それなりに仕事内容に興味とプライドを持っていたりして、必ずしも悪いとは思わない。
それではなぜ金融業界に就職してるんだという疑問があるかもしれないが、答えは彼らがあまり優秀でなかったからというものだ。東大卒で金融業界に就職している人間は、どこかの段階で挫折を経験した者が多い。アカデミアを諦めたとか、テレビ局に採用されなかったとか、色々あると思うが、それが夢だったという者はほとんどいなかったと思う。挫折というレベルの挫折ではないかもしれないが、それが夢ではなかったのだ。最近は外銀外コンが人気と言われているが、これも官僚や研究者を中心とする進路が魅力を失ったからという事情が大きく、金融業界に類する文系職種の弱みが克服されたわけではないと思う。
この手の業界に進んだ人間で仕事が面白そうな人間を見たことがない。激務とストレスと競争社会の果てに何が残るのか、虚しくなってしまう人も多いだろう。資格のある医者や弁護士と違って競争を降りるという選択肢はないので、苦しい人生が延々と続いてくことになる。ただ、それでも多くの人が希望を失わずに生きているのは、家族・趣味・副業・(一部にとっては学歴)といった拠り所のおかげだろう。卵を一つのかごに入れてはいけないのだ。
もしかしたらこの記事を読んで不快に思った人もいるかもしれない。それはおそらく仕事に何らかの思い入れを持っている証拠だと思う。そういう人間は羨ましい限りだし、悩める社会人の希望となるだろう。まだ就職していない若者であれば、ある意味で社会に出たときの期待値が下がるので、加点法で仕事を見られるようになり、幸福度は上がるかもしれない。一応多面的な角度で記事を書いているつもりである。