カノピッピの書くラノベが狂気じみている件
今回はほぼ惚気話である。恥ずかしいので本質を外さない限りにおいて脚色が入っている。筆者には長年交際しているカノピッピがいるのだが、その正体はラノベ作家ワナビーである。一応昼間の仕事も持っているのだが、本人は一切興味がないらしく、世を忍ぶ仮の姿という認識らしい。
そんなカノピッピだが、なかなか芽が出ない。新人賞に応募していても、なかなか最終選考までは通過しないようなのだ。今まで書いたラノベは100万文字を超すのではないかと思われ、筆者も頻繁に目を通しているのだが、クリエイターというのはものすごく厳しい世界のようだ。
さて、カノピッピがなかなか芽が出ない理由なのだが、どうにも世界観に強烈なバイアスがかかっているのが理由の1つではないかと考えている。舞台は剣と魔法の異世界だったり、文明崩壊後のポストアポカリプス世界だったりと、多種多様なのだが、主人公たちの生き方の中心を占めている価値観が、常に同じなのである。その価値観とは……
「受験勉強」である。
カノピッピの書くライトノベルはどの作品も全て学習塾の話なのだ。
剣と魔法の異世界についての40万文字を超えるライトノベルを筆者は読まされたのだが、その世界観はちょっと普通ではなかった。なろう系中世的世界観の基本は全て押さえられているのだが、この世界の王侯貴族は全て10歳になると「サピックス」に通い、13歳になると「鉄緑会」に通うことになっている。しかも恐ろしいのが、そこになんの疑問も注釈も存在しないところである。キャラクターが食事をしたり、家族が存在したりすることに説明がいらないのと同様に、カノピッピの世界観においては主人公がサピックスや鉄緑会に通うのは「当たり前のこと」なのだ。
この剣と魔法の異世界において、ヒエラルキーの頂点に君臨しているのは戦士でも魔道士でもなく、「塾講師」である。塾講師は王立大学理科三類を卒業したスーパーマンの集まりであり、少女漫画に出てくる執事のようにイケメン揃いだ。塾講師は暗殺教室の殺せんせーのように万事に精通していて、人格的にも包容力溢れる完璧人間の集まりである。もちろん悪役も存在する。王立大学理科三類を出たのにもかかわらず、堕天して悪の道に走ってしまった「ルシファー」や、学習塾を襲撃して偏差値の高い少女を捕食しようとする「偽ラガー」といった悪魔が存在するようだ。
カノピッピが一時期「明日カノ」にハマった時は、歌舞伎町をテーマにした作品も書いていた。しかし、夜の世界においても話の中心に来るのはもちろん学習塾である。「ゆあてゃ」は群馬の県立高校から鉄緑会に通うために上京してきた貧しい少女という設定になっていた。カノピッピの脳内ではキャバ嬢も風俗嬢も全員受験戦争の経験者である。この世界にはまともな職業が塾講師と医者と官僚しか存在せず、それらになれなかった人はトー横キッズとして夜職に従事しているのだそうだ。彼らは貧しく塾に通えなかった恨みから、しばしば鉄緑会を襲撃する。そして鉄緑講師が体を張って受験を控えた生徒を守るシーンが読者の涙腺を刺激するのである。
「ベルサイユのばら」が元ネタと思われるフランス革命系の作品も執筆していたことがあるが、やはり内容は学習塾の話である。アンシャン・レジームの階級社会において、鉄緑会は貴族階級しか入ることのできない特権的なクラブであり、第三身分は常にそのことに不満を抱えている。革命の結果、王族は処刑され、庶民階級も鉄緑会に入塾できるようになり、万人が受験勉強に専念できる理想社会が訪れるのだ。
もちろん甘酸っぱい青春も存在する。鉄緑会のレギュラークラスという場所ではキャッキャウフフの日常が待ち受けており、「校内模試」や「総復習テスト」といった行事の前後にはカップルが一緒に勉強し、帰り道に花火が打ち上がるのを見ながら、濃厚なキスを行う。一応この世界には学校も存在するのだが、めったに登場しない。主人公は学校でいじめられたり、浮いているわけではなく、ただただ関心がないらしい。登場人物の価値観では常に学校の同級生<<<塾の同級生である。家庭も同様で、登場するシーンは親と喧嘩しているシーンと塾の宿題をやっているシーンだけで、他の要素は登場しない。登場人物の生活の中心となっているのはあくまで鉄緑会である。
いくらなんでも鉄緑会の話が多すぎると危機感を感じた筆者は、カノピッピに「他の題材のテーマも書いたほうが良いんじゃないか?」とアドバイスをしたのだが、カノピッピは即座に「わかった。同じテーマだけじゃダメだよね〜❤」と筆者のアドバイスを受け入れ、今度は駿台予備校をテーマにした作品を書き始めた。駿台予備校の講師もやはりイケメン揃いであり、受験指導を通して世界平和を実現しようとするスーパーマン達である。いや、そういうことじゃないだろと突っ込みたくなったのだが、本人曰く、塾に通わない人間の人生が想像できないらしい。
カノピッピはいわゆるINFJというタイプであり、博愛主義的な価値観が強い。だからラノベのテーマも世界平和や人類の幸福といったもの触れている。主人公は世界の紛争国や貧困国で苦しんでいる子供がいることに心を痛め、開発援助を通して途上国に東進ハイスクールやZ会の通信教材を届けることによって、人類みんなが受験勉強ができるようにするのが夢らしい。カンボジア・南スーダン・ベネズエラ・そしてガザ地区の青少年が目を輝かせて林修の東大現代文の授業を聞き、「イマデショ!」と唱和して人類愛を共有するのである。
創作において重要なのは主人公の葛藤と成長と言われる。カノピッピの奇妙なところは、葛藤や苦難は受験勉強とは他の問題ばかりであることだ。家庭環境や軍事紛争といった苦難を乗り越える場面は多いが、受験勉強はただただ幸福な時間として描かれているのである。一番狂気じみているのはここかもしれない。受験勉強は人類補完計画で描かれているような「悩むことも苦しむこともない、全てが満たされた至福のとき」とされている。主人公は家庭内暴力や世界大戦を乗り越え、ラストは復興が進む中で学習塾に通ってハッピーエンドである。
一応脚色を入れたものの、カノピッピのラノベの内容の特徴は押さえたつもりだ。これらの作品の書籍化へのハードルは果てしなく遠く、いつも鬱気味である。しばしば書籍化作家に相談することもあるのだが、辛辣な言葉を投げかけられることも多く、傷ついている。「どうして書籍化作家さんは鉄緑会の先生みたいに親切に指導してくれないんだろう」と凹んでいることもよくある。
そして更に狂気がかっているのは、現実のカノピッピの心象風景も作品のようなノリなのである。「フランス革命が〜」といった話を振ると、必ず返ってくるのは「あ!これサピックスで見たやつだ!」という進研ゼミの漫画の上位互換のような一言だ。カノピッピはサピックス首席であり、教材を全て暗記している。お陰で一般教養に関しては不自由しないとのことだ。カノピッピが尊敬する職業第一位は言うまでもなく塾講師であり、筆者も常に脱サラして塾講師になることを推奨されている。
筆者はいわゆる「学歴狂」かもしれないが、上には必ず上が存在するものである。カノピッピは天賦の才に恵まれたギフテッドなのだろうか。それとも中学受験が作り出したモンスターなのだろうか。筆者にそれを判断する術はない。