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【シリーズ労働を考える】超過利潤の発生する「黄金の椅子」を手に入れるには

 前回の記事では業種間賃金格差を裁定が働いた結果として記述した。稼げる仕事は内容がハードだったり、異常につまらないなど、何かしらの点で代償を伴う。したがって、普通の感性の人間の場合、どの業種に進んでも「うまみ」があるわけではない。ブルシット・ジョブは楽して稼げそうに見えるが、実際は目に見えない精神的な苦痛を伴うため、ほんとうの意味で「楽」とは言えないのである。

 しかし、世の中には代償よりも遥かに大きなリターンを伴う椅子というのも存在する。それはレント(超過利潤)が発生している椅子だ。このような椅子のことを黄金の椅子と呼ぼう。黄金の椅子には大抵の場合共通する特徴があり、その背景事情も含めて考えていきたいと思う。

黄金の椅子①:医師の場合

 具体例を出したほうが早いだろう。黄金の椅子の中の代表格は医師免許である。医師の就職事情を聞いて驚く人間も多いだろう。医師免許さえ取得すれば誰でも簡単に年収1000万とか2000万といった金額を稼ぐことができる。他にこのような業界はない。仮に東大に行ったとしても、医師のように稼ぐことは不可能だ。

 医師のこのような性質はレントの存在を観念しなければ説明がつかない。医師が特権的な地位にありつけているのは、供給制限によってボトルネックが発生していることと、公的資金が注入されていて、「企業体力」が無敵だからである。

 医学部の激しい受験戦争も医師が黄金の椅子であることを示している。もし医師にレントが発生していなければ、過酷な国家試験や働き方を懸念して志願者はもっと少なくなるだろう。医学部受験が加熱するのは国家試験や初期研修のブラック労働よりも医師になることのメリットが大きいからにほかならない。

 レントは均衡状態から逸脱しているため、本質的に不安定だ。例えるならば満水のダムのようなものだ。何らかの障壁によって水位が高く保たれていて、排水溝には激しい渦が発生している。残りの部位にも強烈な水圧が懸かっている。

 医師の場合は資格制度のお陰でダムの防壁に当たる部分はこれ以上ないくらいに堅固だ。「水圧」がかかるのは入試である。ここに医師になりたいと願う大量の受験生が押し寄せている。

医師の参入障壁

 医師免許は最強の参入障壁によって二重三重に防護されている。おそらく黄金の椅子が持つ要素の殆どを持ち合わせているだろう。

 まず医師免許は国家資格であり、新規参入を排除する上では万全の効力を持っている。特に強いのはその資格が属人的であることだ。犯罪でもしない限りは剥奪されることはない。

 医師になるための参入障壁として挙げられるのは学力だ。国立医学部に合格するには非常に高い学力が求められる。私立大学の場合は高額な学費が必要だ。学力と学費という強大な障壁によって普通の人は黄金の椅子までたどり着けないだろう。

 また、入口が若年層に限定され、後から移動が不可能であることも重要だ。司法試験など参入年齢が後になってくると、黄金の椅子の「うまみ」に気付いてしまう人間が増えてくるし、親ガチャも効かなくなってくる。医師免許の場合は気づいた頃には選抜が終わっているため、幼少期から環境に恵まれた人間でないと手が出ないだろう。

 情報感度も重要である。東京大学という「疑似餌」のせいで黄金の椅子を掴めたはずの受験生の7割以上が椅子を手放している。東大卒は医師より激しい競争に晒され、医師より劣る給料で、医師よりつまらない仕事を余儀なくされている。進路選択を後悔する人間は後を絶たない。

 よりメタ的な話になるが、供給制限の理由が政治的にもっともらしいことも重要である。医師になるのは医学教育を受けなければならないが、そのキャパシティはどうしても限られてしまう。そのため、医師は黄金の椅子であり続けるもっともな政治的にもっともな理由を持っているのである。これが公務員などになってくると政治的な圧力がかかってくるので、黄金の椅子にはならない。このあたりの事情についても別の記事で語ってみたい。

黄金の椅子への参入障壁

 レントの発生する黄金の椅子へたどり着くためには関門を超えなければならない。その関門はこのようなものになる。

・競争
・親ガチャ
・若さ
・リスク耐性
・情報感度
・運

 医師はこれらの多くを備えている。強いて言うなら現役の場合はリスク耐性は不要かもしれない。医師になるためには医学部受験を突破するだけの高い学力、良い教育を受け、医学部の学費を支払えるだけの親ガチャ、大学に進学できる年齢である若さ、浪人で後がない状態でも医学部を突破するリスク耐性、東大に行かないという情報感度、これらを持ち合わせる必要がある。これらの負担は非常に大きい。だから、ある意味で労働市場とは別の「大変さ」があるとも言える。医師のレントとはあくまで労働力に対するリターンに超過利潤が発生しているというだけで、広い意味での「大変さ」は均衡するのだ。

黄金の椅子②:オーナー社長

 日本で最も勝ち組の職業は何かという議論で必ず挙げられるのは起業家である。大企業である必要はなく、中小企業のオーナー社長であっても大変な勝ち組と言われることがある。

 オーナー社長がレントを得ていることは間違いないだろう。オーナー社長はうまく行けば何十億といった単位で報酬を得ることができるが、正直それに相応する労働力を提供しているとは思えない。サラリーマン社長の年収を中小企業社長の年収が大きく上回っていることは珍しくないし、学歴や出世競争の激しさはサラリーマン社長のほうが勝っている事が多い。

 オーナー社長は事業者としての既得権があるわけではない。常に会社経営で頭を悩ませる立場だろう。事業者は常に激しい市場競争に晒されている。オーナー社長の黄金の椅子とは事業者ではなく労働者としての性質にある。参入障壁を形成しているのは所有権である。所有権は売買しない限り不可侵だし、時効もない。カール・マルクスの言うところの「生産手段の私有」である。オーナー社長が多少仕事をサボったり、損失を出したとしても、新たな社長候補がやってきて椅子を奪ってくるわけではない。大企業正社員と違って人数が少なく、労働市場にも属していないため、事業がうまくいけば桁違いの成果を手にすることができる。

 オーナー社長になるための参入障壁はたった2つである。しかもどちらか一方を満たしているだけで良いので、非常に簡単だ。

 1つ目はリスクだ。事業がうまくいくには相当な幸運が必要だ。会社が倒産して首をつる社長は後を絶たない。高学歴の人間だったりすると、大企業正社員という選択肢のほうがリスクプレミアムの観点から優れているので、起業にはなかなか踏み切れない。

 2つ目は親ガチャだ。親からすでにうまく行っている事業を譲り受ける場合は「大変さ」はない。良くわからない形だけの役員というケースもある。これに関しては生まれる前にくじ引きで当たっているようなものだろう。もっとも会社経営は大変なので、親が経営者だから人生安泰というわけではないのだが、これはレントとはまた別の議論になるので控える。

黄金の椅子③:大学教授

 あまり気付かれていないが、黄金の椅子の一つが大学教授である。大学教授の特徴的な点は、レントの内容が金銭ではなく「やりがい」であることだ。大学教授は決してべらぼうな高給ではないが、なりたい人間が非常に多い。筆者の持論ではあるが、大学教授とオーナー社長のどちらに憧れるかでその人のキャリアに対する価値観がわかるのではないかと思う。

 アカデミアの「食えない」性質はよく知られていると思う。専門書を考えてみても、売れ行きという点では大衆小説や怪しげな健康本に劣るだろう。執筆コストの高さを考えると尚更だ。基本的に学者という仕事は食えないと考えて良い。

 しかし、それでは学問が衰退してしまうので、国家が資金を投入して椅子を作り出している。本来市場原理では発生し得ない椅子だ。大学教授は金儲けには無縁の人間が多いし、中にはポストを得ている活動家まがいの人間も存在する。彼らは明らかに労働市場の価値以上の給料を得ているだろう。大学教授の1000万という給料はあまりにも高すぎるのだ。本来だったら年収300万も貰えるか怪しいだろう。

 大学教授になるための参入障壁はアカデミアの競争と就活リスクの2つである。大学教授になるためには厳しい競争社会が待っていて、多くの志望者が低賃金で不安定な雇用に苦しまなければならない。また、大学教授になれるような人は新卒で就職していたら大企業正社員になれた人なので、尚更リスク耐性は必要になってくるだろう。

黄金の椅子④:大企業正社員の場合

 医師には見劣りがしてしまうものの、日本で最も有名な黄金の椅子は大企業正社員である。特に終身雇用プラチナ企業に入った場合のレントは莫大だ。特に能力がない人間でも窓際で年収1000万が確保できたりする。就職の際に大企業がとにかく進められるのはこのためである。

 大企業の強みは企業体力が強いことだ。だから労働者には超過利潤が発生すると思われている。これは厳密には間違いである。一物一価の法則が成立する限り、大企業が社員に超過利潤を与える合理的な理由はないからだ。実際に大企業であっても非正規雇用の人間は使い捨てにされていて、格差社会の原因になっている。

 大企業正社員のレントの発生要因に関して議論すると止まらなくなってしまうので、次回以降に回す。

黄金の椅子を掴むには

 黄金の椅子を手に入れる方法は、労働市場での競争以外のやり方で参入障壁を築くことである。医者であれば入試が、世襲経営者であれば親ガチャが、大学教授であればアカデミアの競争がそれの代わりになる。親ガチャを除くとどれもそれなりに大変である。だから黄金の椅子に座っているからと行って、必ずしも普通の労働者よりもイージーな人生を送っているとは限らない。

 「大変さ」を低減させる方法はライフステージの不可逆性を利用することである。人生の初期にしか参入ができない参入障壁は、途中から参入ができないので、裁定を回避することができる。参入障壁の重要な点が親ガチャと情報感度になるからだ。この2つの参入障壁はあまり「大変さ」を伴わない。

 そう考えると、キャリアは先行逃げ切り型が最強である。親ガチャで経営者の子供に生まれた場合は、何もする必要がない。経営者ではない場合は勉強を頑張って医学部に入れば良い。医学部に入れなかった場合や東大に行ってしまった場合は就活で安定した大企業に入れば良い。世間でもそう取られているのではないか。だから参入障壁を突破するために激しい競争を繰り広げる。中には中学受験や東大受験のように自己目的化してしまった競争もあるが、日本社会の根幹はやっぱりここにあると思う。

 今回取り上げた医師や大学教授は公共セクターの性質を持つため、市場原理が人工的に歪められて黄金の椅子が生まれている。ただし、公共セクターが全て黄金の椅子というわけではない。公務員や学校の先生など、かつては黄金の椅子として捉えられていたが、現在は青銅の椅子に成り果てたものもある。その理由については別の機会で考察したい。

 一方で民間企業にも黄金の椅子は存在している。黄金の椅子を持っている企業には共通した特徴があるようだ。最近、その中の一つが窮地に立たされている。その名をフジテレビという。

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