祖母の形見、句を詠むということ
4年前、父方の祖母が亡くなった際に、父親経由で二冊の俳句ノートを譲り受けた。祖母は40年間程、毎日俳句を詠み続けノートに記し、そして某老舗の主婦系雑誌に投稿し、何回も何回も、数え切れない程掲載された。その掲載された句だけを改めて書き集めたいわばオリジナルの句集だった。孫は私以外にも6人もいるが、この句集は私の手元にやってきた。実家にいた際に私が本を読んだり小説を書いたりしてる事を知って両親が「あんたが文章書いたりするん好きなんはおばあちゃんに似たんやな」と言っており、おそらくそれでこの句集は私に、という事になったのだと思う。それがとても嬉しかった。
祖母の句集を改めて読むと、私はおろか、嫁である母、実の息子である父すら知らなかった祖母と祖父、二人の情景が見えてくる。
たとえば「小豆粥」の謎。
祖母の句の中に度々この「小豆粥」というのが出てくる。祖父と二人で食べていたような描写も出てくるのだが、
「小豆粥」って何??笑。
今まで一度も「小豆粥」とやらを拵えているのも食べているのも見たことがないし、ふるまってもらった事もない。そして、父に聞いてみても「え?そんなん知らんで。なんや小豆粥って」と言われてしまったのだった。
実際には食べていない、もしくは普通のおかゆや茶粥(うちの地方では名物)を季語として使うために「小豆粥」と表現していたのか。それとも、私達にはわからない二人だけでひっそりと食べていたもので、人に振る舞うものではないからと私達の前では作らなかったのか。祖母も祖父ももうこの世にいないので、真実はわからない。が、なんとなく「ああ、二人には二人の世界があったんだなあ」としみじみ感じる。
ちなみに多数ある祖母の句の中で、私の特にお気に入りがこちら。
「毎日を叩かれつづけてわたくしも、くたびれましたと狂う電卓」
その他の句と比べてこれだけ少し特殊というか、意外性があり、ユーモアを感じる。まさかの電卓を擬人化する祖母のセンスが面白い笑。毎日家計簿をつけ続けてきた祖母だからこそ思いつく句だと思う。
そしてもう一つ、確か何かの賞をもらっていたこの句。
「過疎に住めば生きてる証留めたく今日も日記を丹念に記す」
「過疎」とあるが、祖母の家は本当に「いや日本むかし話かよ」と突っ込まずにはいられない凄まじい田舎なのである。徒歩10秒で海と山。庭はジャングルのように広く、夜にはたぬきが餌を求めて現れる。一応、別荘的な家は数えるくらいあるが、コンビニやスーパーも近くにはない。そんなところに住んでいるからこそ、「自分はここに生きている」という証を残したかったのだと思う。日記や家計簿、そして俳句をずっと書き続けていたのもその感情の現れなのではないかと思う。
実をいうと私も俳句ではないが(季語とかルールがややこしいので)自由短歌みたいなものを詠むのはわりと好きで時々思いついた時に書き記すのだが、自分でも詠んでみて、俳句や短歌ってほんっとうに奥が深いし、たった数十文字で人の心を動かし、時には涙を流させるんだから、すごいなあと心から思う。
好きな句はいくつかあるが、大森静佳氏の「カミーユ」という句集の代表作で本の表紙の帯に掲載されている句は衝撃的だった。
「曇天に火照った胸をひらきつつ 水鳥はゆくあなたの死後へ」
これをたまたま書店で見かけた時、意味は分からないが、この言葉の神秘性、奥深さ、美しさに心を打たれた。しばらくその場に立って何度も繰り返し心の中で読み返してしまったのを覚えている。一応この句には続きがあり「幽明を行き来しながら うたは火となる。水となる。声の雫が心を濡らす」と続く。
いや、はっきり言う。意味は分からない。でも意味なんて分からなくていいのだ。この数十文字の文字の羅列の美しさに心を掴まれた。エッセイでも小説でも詩でもない、俳句や短歌にしか表現できない何かがあり、そこがとても美しい。私も祖母を見習い、毎日…とは言わないが定期的に詠み続けられたらと思っている。
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