You’re so good!
「You’re good.」
何度も繰り返し、その男性は笑ってくれた。
私はとある地方都市の百貨店で勤務している。
インフォメーションカウンターの中で、館内や周辺施設の案内をするのが職務内容だ。
韓国語と英語が少し出来るから、インバウンド対応を任されたりなんかもしている。
とはいえ最近は主に韓国語ばかりを勉強していて、英語は大変にお粗末なレベルだが。
この日も多くのお客様をご案内し、そろそろ閉店作業に取り掛かろうかというところだった。
時刻は19:50。
決められた配置につこうと、従業員用出口から出た私は、不思議な光景を見た。
韓国人らしき男の子たちの集団の中に、欧米人の男性が立ち尽くしていたのである。
男の子たちは何やら男性の手元を覗き込み、やんややんやと騒いでいる。
これは一体どういう場面だ?
私は思わず立ち尽くした。
そうこうしているうちにエレベーターが来て、男の子たちは口々に「アウトサイド」と呟きながら、消えて行った。
残された男性と私。
男性は手元の携帯とにらめっこしていて、私には気づいていない。
私は意を決して話し掛けた。
「Can I help you?」
男性ははっと顔を上げ、全てが解決したかのように目を輝かせた。
聞けばどうやら、行きたい寿司屋があるらしい。
しかも百貨店の外だ。
しまった。
これ、分からないやつでは。
内心そう思った時だった。
「Thank you.You’re good!」
男性は満面の笑みで親指を立てた。
これはやるしかない。
私は腹を決め、持っていた社用タブレットで、グーグル検索をかけた。
男性も自分のスマホを見せてくれている。
私には幸いなことに、彼のスマホは何故か日本語表記になっていた。
だから、寿司屋の名前や通りの名前もすぐに分かった。
そしてもっと幸運なことに、この寿司屋はすぐ近くの商店街の中にあるようだ。
私は案内しますね、と英語で言った。
彼は何度もありがとうと繰り返した。
そして「You’re good!」とも。
道中無言なのも気まずいので、私は彼にどこから来たのか尋ねた。
セルビアからだと答えが返ってきた。
セルビア。
だいたいの位置は分かるのだが、あまりピンと来ない。
とにかく遠い国なのだということは分かり、文化も言葉も全く違う国で1人行動をしている彼に、ひたすら感心していた。
突然、君はテニスをするかと聞かれた。
私は運動は不得意なのだと答えた。
彼はにっこり笑う。
「ジョコビッチは知らない?」
と。
そしてこう付け加えた。
「彼はセルビア出身なんだ」
スポーツ関係の話に疎い私でも、さすがにジョコビッチは知っている。
有名なテニスプレイヤーだ。
私が知ってる知ってると何度も言うと、彼は嬉しそうにしていた。
遠いだけだったセルビアが、何故か馴染みのある国になったから不思議だ。
やがて商店街の入り口に来た。
ここで事件が2つ発生する。
その店は商店街の中にある、という単純な英語が、私の頭から消えたのだ。
「This restaurant is……」
一応口から出してみたが続かない。
そっと商店街を手で示してみる。
ありがたいことに男性はすぐに察してくれた。
「Restaurant is inside this street?」
私は激しく首を縦に振りながら、イエスと繰り返した。
そして事件2つ目。
その店が商店街の右にあるのか左にあるのかを聞かれたのだ。
まずい。
そこまでは本当に分からない。
ただ商店街は一本道だから、まっすぐ歩き続ければいずれ見つかるはずである。
しかしこの、一本道だからまっすぐ行っておくれ、という言葉すら出てこない。
私は持っていた紙の地図を出した。
そして、商店街はここだ、と指でなぞって見せた。
彼はそれを携帯で撮影し、オー、とかアー、とか言いながら納得していた。
なんだ、分かれ道は無いのか、と納得したらしかった。
案内すると言いながら結局全然だめだったな、と私は静かに落ち込んでいた。
英語、もっと勉強しなくちゃ。
「I'm sorry.」
思わず謝罪する。
「No. It's ok!」
彼は頭を振り、最初と変わらぬ笑顔で私にこう繰り返した。
「You’re good!So good!」
この言葉がどれほど私に力を与えたか、彼は知らないままだろう。
彼はもう帰国したのだろうか。
美味しいお寿司は食べられただろうか。
優しい人だ。
今日もどこかで誰かに希望を与え、誰かから親切にしてもらっているだろう。
そう暮らしていてほしい。
私は今日も、東の果ての小さな街で働いている。
こんな私でも、誰かの力になれるのだと信じて。