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#おむすびの具 変わり続ける“私”

ふとしたときに思ったこと、考えたこと、感じたことをポツポツとつぶやきます。
おむすび(私)の具(頭の中)という意味です。


“自分”って何?

多くの人が一度はぶつかり、答えを求めている問題だと思います。


名前、身長、体重、スリーサイズ。
職業、身分、肩書き。
性格、特技、趣味。
家族構成、友人関係、恋人の有無。

さまざまな要素が混ざり合って、世界でたった1人の“”が形作られています。


でも、必ずしもいつも同じ“私”ではない

幸福でいっぱいのとき、無性に悲しくて涙が止まらないとき。
やる気に満ち溢れているとき、無気力で一歩も動けないとき。

子供の頃は皿の端によけていたピーマンを今はなんとも思わず平らげる。
前にどハマりしたアニメを観ても全然響いてこない。
みんなを引っ張っていく人に憧れていたのに今は陰で支えている人を尊敬している。

それぞれ違うけど、どれも“私”。
身体も心も日々変化している。

じゃあ、

“私”をいつでも“私”として確立させてくれている本質って何?
何があっても変わらない“自分”って何?

考えれば考えるほど、わからなくなってきます。


私はこう考えます。

確固たる“私”とは存在しない

のだと。

変わり続ける、不安定な存在が“私”

なのだと。


身体の細胞は古くなれば捨てられ、新しいものに作り変えられます。
心は環境に応じて変化し、自分を守るために働きます。
今まで蓄積してきた経験という唯一無二のデータから未来を予測します。

世界に全く同じ人がいないように、全く同じ“私”もいないのです。


そもそも“私”という形を探して認知する必要はあるのでしょうか。

“自分”とは水のように流れ、飛び散り、形を変えるものであり、肩書きや
性格などは水を容器に入れているようなもの。
「これが私」、「なるべき姿」、「やらなくてはならないこと」といった思い込みという容器自分というを収めているだけなのです。
そうやって自分を実体のあるものとして認識することで安心しようとしているのかもしれません。

いっそのこと、変わり続ける“水”だと受け入れてみてはどうでしょう。
容器をぶち壊しちゃえば、自分も知らなかった新しい私に出会えるかもしれない。


自分とは何なのかわからなくても、“”の私を目一杯感じて、“”の私で考える。
それでいいのだと思います。