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心理を学ぶの遍歴
心理というと何気に怪しき感じはあれど、出会いは学生時代のマズローに始まる。
だが素地としてもっとさかのぼれば、中学生時代からの校内図書館通いでのSF小説の出会いからなのかもしれない。
邦題「月は地獄だ」は中学生時代の自分にとって人間心理へ踏みこむ様な印象が残っている。
書店通いもこの頃から始まり、習慣の少年漫画以外で比較的安価な文庫棚への通いは日常の一部となり、イザヤ・ベン・ダサンとか「菊と刀」が印象的だったかな。「砂の惑星」もこの頃に読んだよなぁ。
高校時代も校内図書館通いは続き黄色い表紙の「松本清張全集」などを貪り尽くしていたっけ。
高校時代もいろいろと結構面白かったエピソードもあったけどここでは遠慮をする。
大学では商学部の経営(情報)なので自ずとこちら方面に関係する読書が中心でかつまた、情報学習も兼ねてCOBOL解説本を使い倒しFORTRANを齧り、キーボードでパラメータをきりを実行したなぁの本や当時最新の組織論に心躍ったりしていた。
マズローやリカード、ノイマン、などの翻訳書などは書店通いの拾い読みと図書館またはゼミに入ってから本を購入して読んでいた。ドラッカー書に対面出来たのもこの頃。全てジャンルは違えど人間心理の世界。
畑違えど教育心理や青年心理の本も読んだ。
だがそこでの最大の出会いはカール・グスタフ・ユングの分析心理世界だ。
当然ユングを通じフロイトも読むが私にはユングの方が向いていたらしく、弟子の解く著書やフロイト弟子達の本も併読貪り読み乍らも、一時には病的に落ち入り自己嫌悪を起こしたりして、意識の制御によって意図的に離した時期もあった。
おそらくはユング世界には魅力というか魔力的な探求の汁があり、彼は実践を通じこの学を科学にへと昇華させた人物なのだとその評価を私はしている。
ただし彼の本を理解しようとは思わない方が良い。翻訳を通じてさえあまりにも難解で各時代に出現していく関連研究者の本を通じ読み・意味を知る平行棒的な読み解きがポイントだと思う。
この平行棒の立場で聖書を読み、各世界に神話史を読み、ニーチェを読み、戯曲を読むのだ。全てはユングのために。
そして、その時代の立場と理解、その環境、宗教観を踏まえて東洋世界の、日本の、立場で読まないといけない。
結局は、幾度も幾度も読み直しを強いられ、数十年掛け続けて行くことになるのだ。
当分この呪縛からは、逃れる事は出来ないだろう。