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背景とオリジン(僕の行政まちづくり)

自分の好きなQ.E.D.というミステリ漫画で、ヒロインがハーバード大への入試課題のエッセイを書く際、主人公が「ただ体験を書くだけでなく、その人の背景をきちんと記述することで説得力が増す」とアドバイスする場面があります。
このヒロイン、つよかわポニーテールでとても魅力的なんですが、それはさておき、主人公の言う通りだなと。

というわけで、手始めに、このまちづくりとか言ってる人の背景を、ハーバード大に入るつもりで書いておきます。
長くなりますが、お時間ある方はお付き合いください。

出典:Q.E.D iff 証明終了(作:加藤元浩)


生まれと育ち

九州のスーパード田舎で育ちました。バスもない、水道もない、自販機もほとんどない、街灯はちょっとある、そんなところ。
ランドセル背負って帰って来ると、農作業してる知らないおじちゃんたちが「おかえりー」と声かけてくるような、山の麓の集落。

父の影響か、小さい頃からものづくり(工学)が好きで、最初の夢は宇宙飛行士。次の夢は設計士(なんとなく響きだけ)。
高校に進路選択の際、理系・工学部は即決まり、なんとなくモノを設計するの好きそうだなーという重要な勘違いから、建築学科に進むことになりました。

竹林から見る集落の風景(今夏墓参りにて)


大学とまちづくりの出会い

大学に入学し、九州一の大都会で6年間過ごすことになります。最初はバスの乗り方もエアコンの使い方もわからず大変でした。
それ以上に大変だったのが建築学科。工学ものつくり系と思って進んだものの、実際はほぼほぼ美術系。
最初の課題は樹木や人物のスケッチで、生活のしやすさより格好いい外観の方が褒められ、施主のお金で好きなデザインするのが建築家で、安藤忠雄知らないなら今すぐ辞めるべき、そんなことを最初に言われてました。

そんな世界に戸惑う数年間でしたが、自分なりの「建築」を模索するなかで、住宅地とか、地域コミュニティとか、家族の関係性とか、宗教建築とか、日本家屋とか、そんなのは好きだなーと思い、3年生のときに、建築の工学・美術と並ぶもう一つの側面、社会学の部分に、自分は惹かれていたと気づきました。
エゴイスティックな敷地完結でもなく、机上の道路ズバーン都市計画でもなく、その間の、人の顔や繋がりが見える、地域レベルのコミュニティづくり。
つまり、「まちづくり」です。
振り返って思えば、自分はただモノを作りたいんじゃなくて、その向こうにある人の暮らしやコミュニティを創りたかったんだなーと。だから機械でもエネルギーでも材料でもなく、建築学科だったんですね。

卒論の対象住宅地(出典:住宅生産振興財団)


就職と家族

そうやってまちづくりと出会い、コンサルや不動産ディベロッパーなどの選択肢もあるなかで、なんとなく行政を就職先に選びます。利益の有無ではなく、目の前の市民にとって純粋に必要な仕事に身を投じられる公共性が、自分に合っていたんですね。

しかしここで一つ大きな問題が発生します。
自分としては今住んでる便利で友人がいるまちに住み続けたい。なのでOBに連絡してそこの役所の見学ツアーを企画し、徐々に未来に向けて歩を進めます。
でも、田舎出身の長男という立場は、なかなかそれを許しません。表向きははっきりダメだとは言われないものの、自分がそのまま就職を敢行した瞬間に、いずれ100年弱続いた実家が空き家化し、墓も閉じ、高齢になった家族を見捨てることが確定する、そんな、やんわりと真綿で締めるようなプレッシャーが、齢20そこそこの自分一人に集中します。

結論から言えば、1年以上悩み続けた結果、選択することを諦めました。
今でも覚えていますが、修士2年生、最終学年のGW明けに、ふと、あぁこのまま何ヶ月悩んでも、自分には地元や家や家族を捨てると決断することなんて出来ないんだと。この頭の後ろに張り付いている細い細い強烈な糸を、自分で断ち切ることは一生ないんだろうなと。
それで、実家から頑張れば通える範囲の、よく知らない知り合いもいない住んだこともない、同じ大学から受ける人が極めて少ない、でも技師としての採用枠はある、そこそこの地方都市の公務員試験を受けることになります(いわゆるJターン)。

ご存知の通り、公務員試験というのはだいたい5月〜8月にあるので、9月上旬にありがたい採用の通知を頂きました。
つらかったのはその後。
大学の同級生らは、自分の気持ちを汲んでくれているので、何で選ばなかったんだ、逃げじゃないのか、と心配のような非難のような言葉をあちらこちらから受けます。
「親なんて関係ないだろ!」と責める、おそらく最初から就職と家族を天秤に載せる過程を味わったことのない人。
「俺はそこが地元だけど、あのまちは一生治らんよ」と諦めるように伝えて一流企業に就職した人。
「私はこの仕事がしたくて親を置いて東京にいくから、そうやって選べるのほんとすごいと思う」と同じ悩みを理解してくれた人。
さまざまな人から言葉を頂き、泣きながら修士論文を書きつつ、学生時代の最後の半年を終えました。

今だから言える第一希望だったまち
(出典:西日本新聞)


同級生の言葉と決意

そんなこんなで、なんとか修士論文も提出することができ(ギリギリ)、東京や大阪に旅立つ同級生を見送って、翌4月1日から初の社会人生活、公務員生活が始まります。
そんな見送り生活のなか、旅立った同級生からもらった一通のメールを、今でも大事に保存しています。

お前がほんとは今のところに残りたかったのも知ってるし、家族のことでとても悩んだことも十分わかっている。
でも、そのまちの行政として就職するからには、まちに骨を埋めるつもりで、頑張って全力で仕事してほしい。

2010.3 当時のガラケーにて

特別に仲の良かった相手でもないですし、どちらかといえばケンカの方が多かった気もしますが(まさかこれ読んでないよね。。)、この言葉はずしんときました。
そうなんですよね。自分がどういった経緯で就職したのかなんて、そのまちに暮らす市民の方々には関係がなく、行政で働くからには一人の公務員として、市民とまちに真摯に向き合わないと失礼なんです。

思えば行政に就職すると決めてからの3年間も、ずっと真逆の設計業界希望の同級生らと密に過ごしてきました(ときおり叱られつつ)。
一般的に、公務員になるって決めたら、設計演習とか単位が取れるそこそこに収める人が多いと思うですが、自分は最後まで全力で設計もデザインもグループコンペも作品見学も取り組んできました(才能はさておき)。
なぜなら、公共施設を発注したり、民間建築を規制・審査したりする行政職員こそ、いい建築、いい空間、いい都市を見極める目とセンスを持っていないと、いい建物もいいまちもできないから。そして、民間や設計に進まない以上、公務員志望の自分がそれを学べるのはこの3年間が人生で最後だからです。
それを、今や日本内でも一流の建築・設計業界の最前線で働いている同級生や先輩たちから教えて頂きました。

なので、今でも納得はいかないし、苦しいけど、それでも、全国の建築業界の最前線で働いている同級生や先輩たちに恥じない仕事を、自分はこの地方都市でやり遂げよう、そう決意して、4月1日を迎えました。
それが、僕のオリジン(原点)です。

大切に保存している当時のガラケー
(出典:NTT docomo)


地方から全国を変えるということ

長くなりましたが、最後のお話です。ここまで読んでいただいた方々、ありがとうございます。

そんな経緯で、ローカルを主戦場に働くことになりましたが、その中でどうしても違和感というか、歪みを感じることがあります。
それは、地方都市で暮らす=割を食っているという日本社会全体の縮図です。

これまでの話からわかるように、努力してそれなりの大学に入り、それなりの専門性を身につけ、それなりに選択肢がある大学生からすると、関東・関西に旅立ち一流企業入るのが一番人気で王道です。たぶん今でもそうでしょう。
最低でも福岡市レベル。それ未満の田舎を選んだら、何のための受験・専門性の努力だったのかという話になります。
(入りたい個人事務所があるとか、地元に帰りたいとかは別として)

しかし、人口比率はさておき、空間比率でいえば、日本社会の大半が地方都市です。食も、エネルギーも、産業も、東京や大阪や福岡だけでは成り立たず、地方の色んな都市や町や村があって、初めて日本という社会が成立しています。

ましてや、多くの人間が今ここに生きていられるのは、自分を産み育てた家族がいる(いた)からです。
であれば、就職と天秤にかけるくらい、家族を大切にするのは当然のことですし、何より、家族や地元を天秤にかけることなく東京・大阪等々に出ることが幸せになる王道である今の日本社会は、どこか歪んでいるんじゃないか、そう感じるようになりました。
もちろん、幸せのかたちも人生の生き方も人それぞれですから、ローカルを第一希望で選んだ人、幸せになった人もたくさんいます。
ただ、あくまで大きな流れとして、その傾向は否定できないんじゃないかなと思います。

なので、自己紹介にも書いていますが、地方都市で、行政として、公務員として働く自分の目標は、地方=損という日本社会全体の歪みをちょっとだけ治すこと。日本社会のあるべき未来に向けて、時計の針を少しだけ進めるお手伝いをすることです。

出典:国土交通省


最後に

昔愛読していたクニミツの政という漫画で(漫画の話ばかりですね)、市長選に立候補する主人公の師匠(坂上先生)が、市民向けの野外講演会でこんな台詞を言っています。

自分が市長になったら、面白いと思った他所のまちの取り組みはどんどん取り入れていく。
なぜなら、政策に著作権なんてないのですから。

クニミツの政 第7巻

先生が市長になれたかどうかは作品を読んで頂くとして、当時高校生だった自分にこの台詞はピンときませんでしたが、大人になって行政で働いてるとまさにそうだなぁと。
そう、行政の仕事の面白いのは、他所のいい取り組みをどんどん貪欲に取り込めるところなんです。よくTTP(徹底的にパクる)なんて言ったりしますよね。
そして、坂上先生ではないですが、まちづくりに著作権はない

もちろん、事業やビジネスという意味では、民間が民間を無許可でコピーするのはNGですが、こと行政においては、むしろ相手先に電話して模倣方法を教えてもらいにいったりします(自腹で特産土産持って)。
視察・ヒアリング受ける側も、何の得もないのにそれが礼儀・常識であるかのように、時間をとって、表面上の真似事にならないよう、経緯や裏話、そして本質を相手に伝えます。
なんだかんだで行政職員はみな、自分とこのまちだけでなく、日本社会全体が良くなる(公共への奉仕)ために働いてることを、薄々わかっているのかもしれません。面白いですよね。

なので自分は、たかだかいち地方都市であったとしても、本質的に良いまちづくりに挑戦し実現すれば、その事例は緩やかに全国の都市に水平展開・波及していき、日本社会全体を変えることができる、そういうふうに思っています。
東京でも、大阪でも、霞が関でも、一流企業でもなく、王道には乗らなかった、斜陽の地方都市=ローカルから、日本全体を変えていく、そんな夢物語を信じて、日々様々な壁と闘いながら、真摯に市民のためのまちづくりに取り組んでいます。

出典:クニミツの政
(原作:安童夕馬 作画:朝基まさし)

長くなりましたが、これが自分がまちづくりに取り組む原動力です。
せっかくnoteをはじめたので、これから、まちづくりへの取り組みや、行政仕事の考え方なんかを、つらつら書いていくと思います。そんな中で、出発点はここで、そして今でもずっとブレずに持ち続けているということを、なんとなくわかって頂けたら嬉しいです。

就職してからのお話は、またいずれ。

※なお、タイトルは堀越耕平先生の「僕のヒーローアカデミア」から拝借しました。2度の打ち切りを乗り越えて長期連載看板作品に辿り着いた先生を見倣って、さらに向こうへ、プルスウルトラ!

出典:僕のヒーローアカデミア
(作:堀越耕平)




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