安部公房展に行きたい

今日は早起きをした。
安部公房展に行くからだ。
本当は8時に起きる予定だったけど、1時間二度寝してしまった。
とはいえ、9時代には家を出れたので、休日の朝としては好成績。

1人で元町・中華街まで行くのは不思議な気持ちだ。
前に来たのはいつだったんだろう。
2年生の頃だったような気がすると書こうと思ったけど、書いてる瞬間に、去年の夏に来たのを思い出した。
どっちもプチ旅行としてホカンスをしに来たはず。
元カレは横浜が好きな人だったし、私は焼き小籠包が好きだったから。

港の見える丘公園の中を通っていく。
バラ園みたいなのがあった。
こんなのが山下公園かどっかにもあって、初めて元カレと横浜に来た時か、クリスマスマーケットに来た時か、それが一緒かはわからないけど、似たようなところを通ったのを思い出した。

最終日なのもあり、展示の中は人でいっぱいだった。
老若男女いると言いたいが、どちらかというと年配が多め。多分私は珍しい方だ。
みんな静かに1人で展示を見ていく、というか読んでいる。

せっかくなので、展示を見ながら、心に残った言葉や思い浮かんだことを書き溜めてみた。
一部、書き写してみる。

11:13
「意識は微小なインターネットであり、インターネットは巨大な意識」

11:27
「1942年、次第に強化されるファシズムに感覚的に反抗しながらも、一方それに同化したいという願望もある」
なかなか読み進められないけど読みたい本、自由からの逃走に近いなと思った。その後の展示で、安部公房は何故に人間はよく在らないといけないのか?を問うているみたいなことが書いてあったが、これも、あまり読んだことはないけど何故だか心惹かれる理由なのかもしれない。

11:28
「どんなことにも関心が持てなくなっていたので、東大医科に進学。」

11:42
「音楽茶房で知り合ったのです。そしてお互いに気に入りました。そこで結婚しました。」
こんな風にシンプルな思いで結婚するのはとても素敵だなと思った。たしかに、結婚に必要なのは、お互いが気にいることだけかもしれない。

12:08
「うつろいの中で、今日という存在の意味を探ってみよう 生きるということは、けっきょく、未来の中に自分を思い描くこと たとえどんなに未来のために今日をささげても、来たる未来の中に、予期していた君の姿があるとは限らない。 死を拒むのは、未来の中に自分を描き続けること。」
今日は明日のためにあるのか、
意味ないとはわかっていても、それをやり続けることに意味はあるのか
私は未来の中に自分を思い描き続けたい。
そういえば、まだ元カレのことが好きだったとき、元彼の描く未来に自分がいないことに気づいて悲しくなったことがあったのを思い出した。

12:26
「奥さんと二人三脚、同じ年に死んでる」
浪人時代によく聞いていた歌手もそうだが、陰鬱な雰囲気がするからといって、作者が1人ぼっちの寂しい人だとは限らない。
恋人や奥さんとの温もりある日々があるからこそ、自分の中の陰鬱さや答えの出ないテーマに向き合えるのかもしれない。

12:35
「ニュートラルな状態になること、感情のままに演ずるのではなく、状況に対する生理的な身体反応としての演技。」
最近の恋愛関係は、感情のままではなく、状況に対する生理的な反応な気がする。

こんな感じ。

今の自分は
自分としての夢が見つからず、
善く生きたいけど、何が善いのかもわからず、
何をどう頑張っていいのかわからない、
愛する対象もないから、
人生に迷ってしまっているんだろうか。

特に最近、常に臨戦体制な感じがする。
もうちょっと優しかったはずが、無駄にトゲトゲしてしまう。
弱っているんだなと思った。
26歳の目標を思い出そう。

そんな15歩目、安部公房展を見に行った。

その足で、習い事に向かう。
寝坊したせいで、横浜でランチを食べるのは諦めた。

会うのに心の準備が必要な人が来る予定だったけど、来ないらしい。
ちょっと心が軽くなった。
今日の夜は飲まなくても大丈夫そうだ。



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