人が嫌いなんではない。自分を嫌いなんだ

誰かに何かに誘ってもらったとき、いつも悩むことがある。【断り方】だ。

「心が疲れているので、せっかくですけど参加できません」
と、素直に言うべきか、どうか。

体調が悪くてなら誰もそれ以上は無理強いしないけれど、
心が病んでるからなんて言われたら、シラけてしまうではないか。ちょっとめんどくさいやつじゃないか。
心が病んでることを 決してひけらかしたいわけではない。むしろこんな自分は自分だって嫌なんだ。

でも、ほんとうに行きたくないんだ。人が集まる空間に。
「最近 どう?」と聞かれて、たくさんの視線が私に向けられるのがほんとうにおっくうなんだ。数人でも、1対1でさえ嫌なときもある。
「最近 どう?」と聞かれて、特段話せるような出来事もない。「特に変わったことはないです」と言えたら簡単。言い方さえ工夫すれば言ってしまってもいいのだが。まして、そこでも「最近病んでてさ~~」なんて言ってしまったら、質問の嵐が来るだろう。

自分の話なぞ、誰も面白くない。誰も聞きたくない。そんな基本概念が根付いていて、あまり自分の話をしない人である。勇気を出して空からダイブするものの、話し始めたとしてもそのうち この人にこんな話をしても困るだろうなあ などという決めつけのような気持ちになり、しゃべっている自分を追い込み、結果 何を言いたかったのか、パラシュートで降りる場所を選べずに見知らぬとんでもない場所に不時着している。
それゆえあまり発言をせず、リアクションで盛り上がっていてその場を楽しんでいたとしても、そのうち「最近どう?」みたいなのが私に向けられるのだが、視線が、笑顔が、沈黙が、気を使われてしまってる感じがしてプレッシャーになり、針のむしろにいる感覚になる。私はオーディエンスの一人でいいのに。他の人はきっと親切だから話しかけてくれている。私とて、久しぶりに会った相手であれば近況を聞かせてほしいと同じように質問するだろう。それとなんら変わらない状況なのに、いざそれを自分に向けられると たまらない。わがままだな。
少し心が健康でいられる間は、オーディエンスの一人になれるようになるべく誘いや集まりには参加することにしていた。そうすれば、毎回会って自分の様子や話も小出ししておけば、いつかどーんとまとめて長く時間を取らなくて済む。

きっと まだ起きてもいない先のことを考えすぎなんだろうな。

なので、(最初に戻るが)そんな心持ちだから、繰り返し誘ってもらうのも悪い気がしてくる。だんだん断わりづらくなってゆく。
かといって気が向かないのに無理やり赴いて、――顔や態度に出てしまわないように最大限気を付けているけど――その場をやり過ごせるほど、気力がついていかない。いや、むしろ表面に出てしまっている気がする。
そんなの相手に悪すぎる。だから、返事を濁したり、仕事や体調(身体の方の)など取り繕った言い訳を毎回使うのではなくて、単刀直入に「心が疲弊してます。今はほっといてください」を伝えるべきなのか どうか。取り繕って断り続けるのと、どちらが相手を傷つけないか。もう長いこと答えにたどりつけないでいる。
逆の立場でなら、今はほっといて、と 全然気にせず言ってほしい。(ずっとと言われたら寂しいけれど・・・)自分が同じ感情になる人だから、痛いくらい気持ちがわかる。だけど万人に通用するわけではない。
むずかしいな~

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