39歳を目前にして気付いたこと
大学を卒業して、社会に出てからというもの、ずっと働くことが辛かったわたし。
就職活動では希望の職種に早々に落ちたものの、リーマンショックの前年ということもあり、営業職ではいくつか内定をいただいた。
400万を超える奨学金を早く返済したかったし、好きなものを自由に買えるくらいの収入が最低限欲しかった。
大学4年生のいつぐらいだったのだろう?
就職しようと思っていた企業の内定者懇親会に参加した。
そこでわたしは猛烈な違和感を覚え、すぐに辞退することに…。
これから就活するには、とっくに遅い時期。
その時なぜか教育実習の記憶が蘇り(このことについては、いつかちゃんと書きたい!)、大人といるより子どもといる方が楽しくない?と教育業界へ方向転換。
あまりにも卒業間近で、卒業旅行はキャンセル料を払って行けなかったけれど。
無事に予備校の内定をいただけたのでした。
ギリギリ新卒枠で入れたのは、本社が本州にある一部上場企業の大手予備校。
色々受けた中で、北海道の会社よりもオープンだな!という印象。
当時北海道の会社は、「女性は営業職で採用しない」と平気な顔で言うところもあったし、同業他社の悪口を言うところもあった。
社会人としてのイロハを、大きな会社で学べたことは今もわたしの財産になっている。
でもね。辛かった。
何がって言うと、当たり前だけど働くこと(お金をいただくこと)って自分を売ることでしょ?
つまり自分に自信がないと、それが辛いわけ。
こんな自分売れないですーって。
自信がないことにはメリットもあって、その分努力はするから長所っぽい言葉に置き換えると「向上心がある」になるんだけど。
いつか何かを達成したら自信ってつくのかなぁって思っていたら、どんなことができるようになってもできないことにばっかり目が行ってしまって、結局は自信がないまま、仕事が辛いまま、環境のせいかな?なんて思って7年で退職することに…。
その後期限付き教員を経て、札幌市の教員採用試験に合格。
今の不人気じゃ考えられないけれど、なんと合格率6%!すごくなーい?笑
そんな狭き門を潜り抜けたのに、自信なしなし舞子先生は学校でも辛かった〜。
とにかく何をしても子ども達・保護者・他の先生達の反応が気になってしまうのですねぇ。
しかもご存知の通りのオーバーワーク。
結局心身を壊して、こちらも7年で退職することになったのでした。
お休みすること1年ちょっと、お声を掛けていただき6年勤めた学校に戻ることになった。
ちょうどボディートークの試験に合格した直後、副業可能な時間講師というポジションでの復帰。
相変わらず自分に自信はないし、さらに体調にも自信がないわけで、「みんなに会いたくて戻ってきたよ!」とも言えないわけです。
だって、またいつ具合悪くなって休むかわからないから。
けれど絶対に無理はしないように、細心の注意を払って自分にできることだけをして。
そうしたら彼らの卒業式を見届けることができるような自信が、ちょっと出てきた。
そして、4月からのことを考え始めるようになった。
今の時代の学校には、色んな無理がある。
わたしが学生の頃からずっと、どうにかならないのかなぁって思うことも山ほどある。
でもそれらをどうにかするためには、いち教員では難しくて、「偉い人」にならなきゃいけない気がしていた。
それでもう一回大学に編入して、大学院に行こうかな?と考え始めていた。
もう写真を貼って願書を出すだけなんだけど、ちょっと迷う。
そこでわたしは、色んな人に話をして聴いてみている。
つい先日、あの人はこのことについてこう言ってたんだよねーと夫に話していたところ、あれ?もしかしてわたし、学歴にコンプレックスあります?と気付いた。院卒とか資格とか、ステイタスが欲しいだけでは?と。
さらに英語についても新たな気付きが…。
これを書くのは非常に勇気がいるけれど。
わたし英語喋るの、苦手です爆。
書くのも、そんなに得意ではないよねぇ。
だからね、急に授業はオールイングリッシュでやりましょうとか言われても困ったし。
でも誰と比べて?って話なのですよ。
どんだけ上見てるの?って。
いま一度自分ができている部分に目を向けてみると、あれ?そんなに自信なくすことあったかしら?となったわけです。
もしも英語を話すとか書くことが苦手なのだとしたら、それって教える上ではアドバンテージだし!
先生という人達は、できない人の気持ちを汲み取るのが概して苦手ですからねぇ。
じゃあ英語は好きなのかい?っていうと、正直これまでは「お金を稼ぐための武器」としか見ていなかったからわからない。
これから自分のワクワクする方向で、英語と関わってみようと思う。
先生として、このくらいできなきゃいけない!って気持ちで向き合うのとは全然違う気がする。
だって、いちばん最初は好きから始まったはずだから。
初めて英語でコミュニケーションが取れたときの喜びを、思い出した。
そうそう、英語って元々はコミュニケーションのツールだよ!
時にはお金を稼ぐための武器になったり、入試を突破するために必要なものになったりもする。
けれどそれは、通過点に過ぎない。
その先にある望む未来を描ければ、そんなに辛くはないのかもしれない。
39歳を目前にして、そんなことに気付いた記録。
わたし自己肯定感、めちゃくちゃ低かった!笑