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何かを成すことよりもまったりする時間を大切にしたい

1年半ほど前、月に1度だけ紅茶教室に通っていたことがある。
田舎の小さな個人の紅茶教室だったから、毎月生徒は決まってわたしの母くらいの年配の女性とわたしの2人だけ。
その年配の女性が、おそらく無意識になんだけど、わたしがハッとするような言葉を言うことが度々あって、とても尊敬していた。
パッと見た感じは、おしゃべりが大好きなよく喋るいたって普通の主婦だったのだけれど。

はじめてハッとさせられたのは、
紅茶のジャンピングについて説明を受けていたとき。

ジャンピングとは
ティーポッドにお湯を注ぐと、紅茶の茶葉がお湯を吸って沈んで、今度はお湯の中の酸素が茶葉に付着して茶葉が浮いて、また沈んで、また浮いてって繰り返す運動のこと。

そのときに、一緒に参加していたその女性が
「これ(ジャンピング)を見ながら待つ時間が良いのよね〜」
とおっしゃったのだ。

わたしは、紅茶というものが特別に好きというわけではない。カフェインが苦手気味なので、お菓子のお供には”コーヒーよりは紅茶を選ぶ”というくらい。でもなぜか、「紅茶教室」というものに興味を持って通っていた。たぶん、紅茶というものに、ゆっくりゆったりまったりする時間、感じる時間を求めていたのだと思う。

だから、その女性のその言葉にハッとさせられた。"そうだった、大切なことはそこだった"って思い出させられたような感じ。それと同時に、この忙しい現代社会に生きながらも、その価値、大切さを意識せずとも知っているその女性がとっても素敵だなと思えた。




今日、急に思い立ってスコーンを焼いて食べていた。そのあと、夕立のような雨がザーッと急に降ってきた。窓を全開にして、雨の音を楽しみながら、お香をたいて、香りを楽しんだ。紅茶も用意して。

ただ、ハートにいよう、感じていよう、と努めながら。



音と香りと味を楽しむこの時間。

だんだんと身体の感覚がふわ〜っとしてくる。
スマホを見続けると頭がキュッと締め付けられる感じがして、呼吸が浅くなるように感じるけれど、この聴覚と臭覚と味覚と視覚を感じるこの時間は、わたしを柔らかさと心地よさへ誘い込んでくれる。

こういうときに、
ふわっと、あれがやりたい、これがやりたい
って出てくることがある。
きっと、それがすごく大事。

そして、こういうときに
はぁーしあわせ。
と感じる。
きっと、それが本当のしあわせ。

そして、これが本当のわたし。
何かにならなければ、何かをしなければ、という焦りもない。
未来への心配や過去への憂いもない。
ただただ心地が良い。



急に話が変わるけれど、
人間は素粒子でできているらしい。
素粒子は周波数を発しているらしい。
周波数が目の前の現実を作っているらしい。
これは量子力学という物理学ですでに証明されている有名な話。


ただ感じている時間、
心地よい時間は、
たぶん周波数が高い。

周波数が高いとき、恐れがない。
逆を言うと、恐れがあるとき、周波数は低い。
愛は周波数だと聞いたことがある。
高い高い周波数が愛だと。
高い周波数でいるとき、
つまり心地が良い本当の自分でいるとき、
自分自身が愛そのもので、
その自分で見る事象すべてに愛をかんじられる。

ちょっと難しい話になってしまったけれど、
幸せになるために、何か憧れの状態を得ようといろんなことに手を出して忙しくして、あれこれやることでいっぱいになったり、何かを成そうとしたりすることは、感じている自分、心地よい自分から遠ざかってしまうと感じることがある。
最近のわたし、そうだったなぁと思った。

何もしない時間は、ついつい人生に遅れを取っているように感じてしまうけど、本当は真逆なんだろう。

何もしない時間、まったりする時間、
ただ感じている時間は、
何かを成すことよりも、何よりも
ずっとずっと大切なんだ
ということを
胸に刻みたいと思った今日。

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