悩みの原因は今の不快さをどうにかしたいから。

楽しそうなイベントがあった時、行くか行かないか迷うことがある。

行ったら楽しい。
でもお金がかかる、時間も使う。

メリットとデメリットを天秤にかけている。

つまり、損をしたくないのだ。

私が幸せになるかどうか、に注目を置いてる。

行ったら幸せになるのか。
行かない方が幸せなのか。

それをずっと思考で考えて悩んでいる。

そもそも、損をしたくない、という時点で何かズレている。

未来に幸せがあると思ってる。
未来にしか幸せがないと思ってる。

例えばそのイベントが10日後だとして、それまでの毎日、毎時間、毎分、毎秒はずっと不幸が続くと思ってる。

不幸、不幸、不幸、不幸、の後に幸せが来る、と思ってる。

なぜなら、今、不幸だから。今、不快だから。

だから、未来のある地点に幸せを求めてる。

そこに行けば、それを手に入れれば幸せに快適になるんじゃないかと錯覚しているのだ。

不幸に耐えて耐えて耐え抜いて幸せを手に入れたとしても、数時間、数日は幸せを味わえるかもしれないけど、いずれ幸せの感覚は薄れていく。

そしてまた不快な時間が続き、新たな快を求めてさまよう。

これでは一向に幸福度は上がらない。

上がったり下がったりを繰り返すだけだ。

ではどうしたらいいか。

今この瞬間の幸せ、快適さに集中する事だ。

10日後なんて遠すぎる。
今晩も遠すぎる。
1時間後も1分後も遠すぎる。

今この瞬間に自分を快適にするのだ。

食べたいものを食べる。
トイレに行く。
眠かったら横になる。

今の自分が不快なのだから、今対処してあげればいい。

それを遠い未来に延期しすぎなのだ。

自分の不快に気づくには、自分の体に注意を向ける事だ。

食べたいものを自分に聞いてあげる。
それを食べてあげる。
もしかしたら食べたくない、と身体は言ってくるかもしれない。

目の前にいる人のせいで不快だと思うなら、その人から離れてあげる。
言いたいと思いながら我慢してるのが不快なら、思ったことを言ってあげる。

自分のために。

自分を不快にしてるのは、実は自分自身なのだ。

だから、快適にするのも自分でできる。

だけど、自分の感覚に自信がないから、自分を表現したりすることより、誰かに従ったり合わせたりする方が楽だと思い込んでるだけだ。

自分の人生を自分で生きる感覚が薄いから。

自分にそんなことができるはずがないと思い込んでる。

子供の時の教育や、親から日々言われたことが染み付いていて、自分には力がないし、自分の人生に価値なんてないし、自分の人生の舵を自分で取るなんて考えてもないし、怖くてできないのかもしれない。

やったことがない事は怖い。

他人に自分の人生の舵取りを任せて、人にコントロールされて支配されて生きていくのは楽なもしれないが、とても窮屈だ。

制限されている、と感じる。

だけど、それを選んでいるのも自分。

「されている」わけじゃない。

自分が支配されることを選んだのだ。
支配してもらうことを選んでいるのだ。

選ぶ力がなくて人に合わせているのと、
ここは決められないから人に合わせる!と力強く選ぶことは違う。

支配されているわけではなく、自分の決断によって得るものに変わる。

その時本来の自分の力を思い出す。

選ぶ力があること。
決める力があること。

人に合わせる事を選んだのは自分。
何か起きても自分の責任。

そうして毎瞬毎瞬の幸せ快適に注力して過ごすと、数分で幸福度が上がる。

自分を快適にすることができた。
自分の感覚を信じることができた。
自信がついてくるんだ。

幸せの感覚なんて、本当はあっさり手に入る。
簡単に感じることができる。

大金が必要なわけでも
資格やスキルが必要なわけでもない。

この幸せな感覚の中に入ってから、始めに考えていたイベントのことを考える。

行くのか、行かないのか。

なんか、別にどっちでもいいや。

と思うかもしれない。

だって、そこに行かなくても幸せだから。
幸せをわざわざ取りに行く必要がないから。

その上で、人生のエッセンスとして、娯楽として、行きたければ行けばいい。興味なければやめればいい。
まだ決められなければ決めなくていい。
人に合わせることを力強く選んでもいい。

満たされたところから力強く決めていこう。

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麻美
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