オランダアートひとり旅#09.フェルメール・センター・デルフト
デルフト旅行の目的は、フェルメールの痕跡を辿ることでした。
17世紀のオランダ黄金時代に活躍したバロック美術を代表するヨハネス・フェルメール。1632年に誕生し、同年10月31日にデルフトの新教会で洗礼を受けました。その後1675年に42歳(または43歳)で亡くなるまでデルフトで活躍し、《真珠の耳飾りの少女》や《牛乳を注ぐ女》などの名画を残しますが、意外にも、彼の人生についてはよく分かっていません。
当時オランダには、聖ルカ組合(St. Lucas Guilde)と呼ばれる画家たちの組合がありました。1653年、21歳のフェルメールは聖ルカ組合に親方画家として登録されます。親方(master)として登録するには6年の下積み経験が必要でしたが、誰の下で修業したかは分かっていません。その後史上最年少の30歳で同組織の理事(任期2年)に選出されると、38歳の時には再選されます。2度も理事を務めるのは非常に珍しかったそうです。
これらのことから、フェルメールは生前から画家として高い評価を受けていたことが推測されます。彼の作品も、亡くなった後の数十年間は、高値で取引されていたそうです。
しかし18世紀に入ると、一部のオランダ美術専門家を除いてフェルメールは忘れ去られてしまいます。理由は寡作だったこと、作品の多くが個人蔵だったこと、大都市に拠点を置かず弟子を持たなかったことなどが挙げられています。それが19世紀に入ると、フランスの美術評論家トレ=ビュルガーによって再発見され、20世紀に入ると世界中で爆発的な人気を博すことになるのです。
フェルメール・センター・デルフト(Vermeer Centrum Delft)
2007年に開館したフェルメール・センター(Vermeer Centrum Delft)は、デルフトの中心街に位置します。現在の建物はフェルメールが理事を務めた聖ルカ組合の跡地に再建されたもので、よく見ると、円形の装飾の下には ”ST. LUCAS GILDE” の文字が確認できます。
ここには本物の作品は展示されていませんが、画家としての技術や作品に込めた想いを詳しく知りたい方にはおすすめです。
1階:フェルメール作品 全37点
チケットを購入して、日本語のオーディオ・ガイドを受け取ります。
展示ではまずデルフトとフェルメールに関する紹介映像を観て、彼が残した37作品を見学します。これらはすべて原寸大の写真複製で、本物ではありません。
◆寡作
現存するフェルメール作品は、全部で37点といわれています。
無くなった作品や埋もれた作品もあるでしょうが、当時の水準を考慮すると、フェルメールが生涯で制作した作品は多くても60点ほどだろうと考えられています。
それほどまでに少ないフェルメール作品。しかし見方を変えれば、寡作だからこそ一つの場所に集められるのかもしれません。
◆画題
展示されている37作品は、画題によって以下のように分類できます。女性や室内を描いた作品が有名ですが、初期の頃は宗教画も描いていました。
◆サイズ
フェルメール作品の特徴に、小ささがあります。西洋画は往々にしてその壮大さに圧倒されがちですが、フェルメール作品は思っていた以上に小ぶりなものが多くて驚きました。
どれほど小さいかというと、最も小さい《フルートを持つ女》で 20cm × 17.8 cm。この作品と同じく木の板に描かれ、対の作品であると主張されることが多い《赤い帽子の女》も、23.2cm × 18.1cm しかありません。
本当に小さい。分かっていても「ちっちぇ~なぁ~」と思わず声が漏れてしまうサイズ感です。
ちなみに、フェルメール最大の作品は《マルタとマリア家のキリスト》の160 cm × 142 cm です。小さくはないですが、大きいとも言い難いサイズです。
◆真作か、それとも他者の作品か
フェルメール作品は、世界中の美術館で所蔵されています。
最も多いのは、故郷のオランダではなくアメリカの14点。日本では、東京国立西洋美術館に《聖プラクセディス》が展示されています。
こちらの絵画は17世紀のイタリア人画家フェリーチェ・フィチェレッリの作品を模写したもので、長い間、フェルメールの真作か疑わしいとされてきました。しかし今年、アムステルダム国立美術館でフェルメール大回顧展を開催するにあたり調査を行った結果、フェルメールの真作であるとの結論に至りました(これで決着?)。
また、実は先程の《フルートを持つ女》もフェルメールではない可能性が高いとされ、ワシントン・ナショナル・ギャラリーでは「ヨハネス・フェルメールに帰属」として展示されています。
つまり、このセンターでは現存するフェルメール作品は37点としていますが、研究者や美術館によっては35点または36点といわれています。
真相や如何に。
2階:光の効果と道具
◆光の効果
2階では、光の影響や表現に関する展示がありました。
明暗対比を劇的に誇張して描いたレンブラントとは異なり、フェルメールは穏やかで静謐な光を生み出しました。2人とも「光の魔術師」と呼ばれたバロック期の巨匠です。光の表現ひとつでこれだけの違いが出るなんて本当に奥深いですし、どれだけ研究してもし尽くすことはないのだろうと感じました。
フェルメール作品は写実性が高いことで知られています。また、奥行きや明暗のコントラスト、おぼろげなハイライト効果は写真のようだと表現されることが多く、実際にカメラ・オブスキュラ(暗箱写生器)という元祖ピンホールカメラを使っていたと示唆されています。
この主張はしばしば、歴史上初めて顕微鏡を使って微生物を観察したアントーニ・ファン・レーウェンフック(1632-1723)との関係からも語られます。
レーウェンフックはフェルメールと同郷で同時期に活動した科学者です。当時としては革新的なレンズを発明したことでも有名で、フェルメールの死後は遺産管財人になったことから、2人は生前より顔見知りだったと考えられています。また《地学者》と《天文学者》は、レーウェンフックをモデルにしたという説が根強くあります。
そう聞くと、フェルメールはカメラを用いたことで光や写実の表現技法を学んだのだと思いがちですが、必ずしもそうではなさそうです。
なんなの・・・もっとすごいじゃん、フェルメール。
さて、フェルメール絵画の特徴に、ポワンティエ(pointillé)と呼ばれる点描技法があります。
例えば、《牛乳を注ぐ女》のパンには小さな点々を置くことで光の反射を表現しているのが分かります。この技法は初心者にも分かりやすいポイントなので、絵画鑑賞の際には役立つなと感じました。
◆画材
光りの効果以外にも、2階のアトリエでは、彼が使っていた絵の具や筆に関する展示がありました。
鮮やかな青色が特徴のフェルメール・ブルー。
この色は、ウルトラマリンといわれる青い顔料から生まれました。 "Ultra-marine(海を越える)”という名が付いた理由は、原材料に使用していた宝石のラピスラズリがアフガニスタンから海路で輸入されていたためです。
ラピスラズリは非常に高級で、金よりも高価でした。フェルメールはこの鉱石を細かく砕き、その中から特に青い粒子を集め、クルミ油と合わせることで独特の青色を生み出しました。
当時の顔料の中でもっとも高価だったウルトラマリンを、フェルメールは贅沢に(借金をしてでも)使用して絵画に使っていたわけです。そりゃ寡作にもなっちゃうね・・・って思っちゃう。
そういえば、今回の旅行で思いましたが、フェルメール・ブルーとデルフト・ブルーは似ている気がします。デルフトにとって、青は特別な色なのでしょうね。というか、良くも悪くもオランダ黄金時代の産物な気が――。
3階:作品に隠された愛のメッセージ
フェルメールは愛をテーマにした絵画を多く残しています。
例えば愛の象徴として楽器を描いたり、手紙は恋文だったり。キューピッドは言わずもがな、手紙を読む女性の部屋に世界地図が掛けられていたら、海の向こうにいる想い人からの手紙だと連想させます。
これらを見ると、フェルメールは作品の中に時空を超えた物語を描いていることが分かります。ただ静寂なわけじゃない。愛のヒントが盛りだくさんの、おしゃべりフェルメールです。
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最後に、今回の展示で最も印象深かったのがこちらです。
そう、わたしたちは、フェルメールの絵画を通して、彼が見た世界を観ているのではなく、彼が見せたい世界を観ているのです。
確かに、フェルメールの作品に佇む物語を感じると、それが真実のように思えてきます。
それでも、こういう文を見る度に思います。本人はそんなことを言ってたのか。国語のテストによく出てくる「筆者の気持ちを述べよ」的なやつな気がしなくはない。