ACIM#13. 思考システムのデフォルトを変更しませんか~平安を求めるのに犠牲はいりません(L343)~
昨年から奇跡のコース(ACIM)の365日ワークを始めました。
365日と聞くと壮大なイメージをしてしまいますが、結局のところ、思考システムの「デフォルト」を変更する作業をしているのだということに最近ようやく気がつきました。
※『奇跡のコース(ACIM)』は1976年にアメリカで出版された書籍です。詳しくはこちらの記事に記載しています。ご興味のある方はご覧ください。
以前から、ワークの目的のひとつが「恐怖の思考」から「愛の思考」へとシフトすることだとは知っていたのですが、人というのは不思議なもので、知るタイミングと理解するタイミング、そして、腑に落ちるタイミングというのはそれぞれ違うようです。
1年の終わりに近づいて、ようやく腑に落ちました。そして、ただ思考をシフトするのではなく、思考システムのデフォルト自体を変更していたのだということに気がつきました。
Lesson 343: I am not asked to make a sacrifice to find the mercy and the peace of God.
343日目のテーマです。
奇跡のコース(ACIM)では、「私たちは本来愛の存在であり、神(宇宙)と一体化している」と主張します。ということは、この慈悲と平安を持っているのは自分自身であり、それらを見出すためには何かを犠牲にする必要はないということになります。
しかし、日々の思考を見ていると「望みが叶わないのは努力が足りないからだ」とか、「心の平安を手に入れるには徳を積む必要がある」とか、はたまた「自分が幸福や平安を感じられないのは波動が低いからで、瞑想や浄化をして波動を上げなきゃいけない」という思考になっていることに気がつきます。
それはまるで思考システムが「自分には常に足りないものがある」に設定されているかのようです。
「足りない」という視点で世界を見ると、自然に「努力が必要だ」「成長が必要だ」「自分磨きが必要だ」「浄化が必要だ」「徳が必要だ」となってしまいます。そして、望みを叶えるのは今の自分ではなく、未来の自分だと思ってしまうのです。
あなたが求めている慈悲と平安は「今のあなた」にあるもので、努力したあなたでも、今日より成長した1年後のあなたにあるわけでもありません。
あなたのデフォルトは何ですか
思考システムのややこしいところは、デフォルトを変えるときに「変更しますか」とは尋ねてくれないことです。自分でも知らない間に、変わってしまうのです。変更したのが自分自身なのに、気づかないのです。
ひょっとしたら私たちは皆、生まれたときのデフォルトは「愛」「平安」「慈悲」「優しさ」「善悪はない」「心の底から人生を楽しむ」「経験がすべて」「失敗の数は喜びの数」「すべてはそのままで完全で完璧だ」だったのかもしれません。
それがいつの間にか設定をいじってしまい、「自分は常に不足している」「世界は怖い」「人は疑え」「恐怖は避けて安心と安定を目指せ」「人から支持されないことはするな」「人生はつらくしんどいものだ」に変わってしまったのかもしれません。
だから、自分で気づくしかないのです。
あなたの思考は、今どのような設定になっていますか。
もしその設定から映し出される世界が気に入らなければ、一度その設定を見直してみませんか。
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