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no.4 ネットワークビジネスで100万ゲット!からの奈落の底

花咲会の仲間入りをした私は、まずMBSというセミナーに参加する為に会場である千代田区の九段会館に向かった。

何やらエンジ色のブレザーを着たスタッフとおぼしき人が目立つ目立つ!
のちに、このブレザーにたまらなく憧れるおバカな私が居るのだが。

1万円のバカ高い研修費を払い着席。今なら絶対に行かない😂

時間になり始まった会長のものすごいパワフルな熱弁に圧倒されまくる私。
なんとこの会長は昔、社会問題にもなったバブルスターのトップリーダーだった。

マルチの人たちはずっとマルチの世界でしか生きて行けない気がする。

権利収入になると言いながら同じ業界内で転々とさまよってる人たちばかり・・・というのはのちのち気付いた。

暫くすると『つまみ出せー』いきなりの大きな声にビックリ!!

振り返ってみると、居眠りしてた人がスタッフに誘導され実際に退場させられていたから、さらにビックリ!ポカーンと見ていた私。

ハッと我に返った時には、つまみ出されたくない思いから緊張感MAXで私の眠気も吹き飛び目がシャキーーン!

それからは何事もなかったかのように再開された熱弁にどんどん洗脳されて行ったのだった。

激しい一面あり、時にお涙誘う感動のトークあり・・・
会長の話術は本当に巧みだった。貧乏だった幼少期や親の事をドラマティックに話し、その構成も本当によく作られていたと今よく分かる。
さすがバブルスターのトップリーダーだ。

途中ブレザー軍団全員がステージ上に呼ばれ1列に並んだ。

その光景なとても輝いて見えて『私もあのブレザーが着たい』そぅ思ってしまったバカ素直さは天然記念物級。

本当に実によく作られたショーだった。

今も、どこかのショーに魅せられどんどん深みにハマってる人が居るに違いない。どこか違和感を感じてる人は、すぐに私に連絡して来て欲しいと思う。

すっかり洗脳されきって出来上がった私。

『すっごい話しがあるからとにかく聞いて!』アポ取りを始めていたのは、甲府へ帰る電車を待つホームであった。

そぅ私は単純で素直で即行動・・・追っかけとおんなじだ。

それからの私は、休みを使ってせっせと甲府の友人を渋谷まで動員。

甲府−渋谷を何往復した事か。

よく何も喋らず『スゴい』だけで動員した私も私ならされた友人も友人。
不思議で笑けて来る。

1ヶ月目、会社のお給料とほぼ同額、2ヶ月目に倍、3ヶ月目に3倍のボーナスをいただいた。バカバカしくてもう会社なんて行ってられない!
あのブレザーを目指すんだ!そうすれば月収100万で私は一生お金に不自由しないんだから!とFM局を退社。これが大きな勘違いとは知りもせず・・・

とにかく頑張って憧れのブレザーを着られるタイトルに昇格し、ボーナスも100万を超えた。そぅ私は決めたらやる女だったのだ。

インセンティブの表彰ではスポットライトを浴び、花束をもらって流した感動の涙は今や笑える思い出。

私をネットワークビジネスの道に招いたのは
勤務してたFM局の番組を制作してた
東京の有名制作会社のディレクターだった

憧れのブレザーはきっと会長からの昇格祝いのプレゼントだろうと思ってた私。

それは勘違いで、なんと!
そのブレザーは8万円で自分で買うのだと聞かされた。ガビーーーン!

8万円で買ったブレザーを着た私

おまけにブレザー着用資格のタイトルの人たちは、共益費という名目でなんとも不可解な5万円を毎月徴収される事を知った。

えっ?そーなの??・・・

そぅ、ネットワークビジネスは不都合な事や闇は何故だか知らされない。

後でビックリする事が多いものだ。私自身、のちのちも経験する事になった。

これを読んでいるアナタ!
後で色んな事が出て来る蟻地獄の一歩なんだと、頭に留めてこのブログを読み進めて行って欲しい。  

甲府を朝5時半に出て深夜1時過ぎに帰宅。そんな生活を1日置きにするようになっていた。

そして一緒に通ってた追っかけ仲間のコが私と同じあのブレザーのタイトルに昇格。最高に嬉しかった!!

しかし迎えたボーナス日、私はドン底に突き落とされた。そこには隠されていたまともや厳しい現実があったのだった。

えっ・・・
憧れのブレザー 🟰 一生お金に不自由しないんじゃなかったの??

私のボーナスは100万円からいきなり20万円になっていた。
ブレイクアウェイというプランは注意が必要だ🚨

あの頃はホント無知だった。

タイトルが同格になると差額が無くなりボーナスが激減。
これは普通に起こるネットワークビジネスの闇の話です。

昇格を目指しても同格になると困る上位者いわゆるアップラインは、その昇格を阻止する事が日常茶飯事のように起きているのがこの世界である。のちに何度も見る事となる。

花咲会では阻止こそなかったものの、私が昇格した時も同様で、同格の昇格者が出ると紹介者やアップラインが居なくなってたのは、こういう背景があり、お金が無くて去って行ったんだという事が分かった時は本当に淋しくなった。

20万円ではとても経費を補う事は出来なかったし、闇も知ってしまったけど、私は後戻り出来なかった。既に会社を辞めてしまっていたのだから。

自分がさらにタイトルアップすればいい!そぅ自分に言い聞かせるしかなかった。普通は赤字だったりブラック企業ならやめるのがいい。
しかし洗脳されていた私はしがみついたのだった。

当時20万の保証金が必要だった墓石のような携帯電話。持つのがステイタスなんて思って持ってたおバカさんの私。

これこれ!懐かしい!!

上野公園でイラン人から偽造テレカを購入し、1人で居る時は携帯は使わず、もっぱらそのテレカで公衆電話から電話していたというのに。

パンチ穴をふさいだテレカ(引用画像)

私の人生はどんどん狂って行った。

墓石電話の丸井のローンに加え、メンバーさんの前でのみ使った携帯のバカ高い通話料、毎月5万円だった謎の共益費、1日置きに山梨から通う交通費にカフェ代・・・
経費倒れで気付いたらアコムなどいわゆるサラ金にも手を出し、もうどうにもこうにもお金が回らなくなって辞めたのだった。

私の人生こんなはずじゃなかったのに・・・

よく遊んだ近所の公園のブランコに乗り、途方に暮れながら心の中でそぅ呟いていた。

それから長い時を経て当時の仲間と再会。昔話に花が咲いた時があった。

車のガソリンを入れるか自分が飯を食べようか、何回迷ったか分からない・・・
一番稼いでいただろうと思ってた仲間がそぅ言った。

この人もそんなに大変だったんだ。

これもまた業界の闇であり真実である。

そんな話しで笑い合った私たち。同じ釜の飯を食べた同志のような感覚だった。

笑い話しになっていればまだいい。

それから暫くして駅で偶然、当時憧れてた人とバッタリ再会した事があった。

素っ気なく去る後ろ姿に、あぁ今の人生に納得出来てないんだな、だからまだ笑い話しに昇華出来ずに消したい過去なんだな・・・
そぅ思えて淋しくなった。

このブログを見てくれている方は、何らかの悩みや闇、迷いなど何かがあるのかもしれない。

後戻りして欲しいと思う。
経験しなくていい事だから。のちの人生の結果次第では、ずっと引きずって行く事にもなりかねないのだから。

この後は私のド貧乏生活時代に触れようと思う。

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①プロローグ

②幼少期の私

③就職は📻️FM局

⑤ネットワークビジネスでド貧乏、そこからの再起

⑥水商売を卒業し焼肉屋をスタート

⑦2回目のネットワークビジネスで成功、そのキモとは?

⑧ネットワークビジネスの光と影

⑨これからの副業


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