みーしゃ

小説が書けるようなジェットコースター人生を歩んで来ました。 追っかけで日本縦断44都道府県、MLMで借金、月収100万、貢いでみたりw どこかの誰かのヒントになったらいいな…そんな思いで初めてのブログを楽しくやってみる事にしました。 どんな出会いが待ってるのかワクワクです🎵

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最近の記事

no.9 これからの副業

ネットワークビジネス専業となり11年目になる私。 自由な時間と経済を手にする事が出来た。 そのおかげで、2019年10月31日に大好きな母が膵臓癌で他界する前の5日間、病室に泊まってずっと母と一緒に居る事も出来た。 普通のお勤めでは出来なかったと思うので、◯◯社には本当に感謝している。 ただリーダーとして頑張って来た中で、色んな理不尽を体験した結果、一歩引いて俯瞰的に見られるようになった今は思う点がいくつかある。 まず、ネットワークビジネスにはリスクがあるという事を認識

    • no.8 ネットワークビジネスの光と影

      お店をやりながら人生2度目のネットワークビジネスを始めて1年ちょっと。 ◯◯社からのボーナスは22万円ほどになっていた。 お店のオープンからまる3年を半年後に控えた時、私はお店を閉める一大決心をした。 お店経営からネットワークビジネス専業へと転身して行くのであった。 リピーターのお客様も増え手応えを感じながらも、相変わらず給料は取れず。 その上、半年後には消費税免除期間を終え8%(当時)納税しなければならないけど、お金に変えられるものはもう何もない。 お店を閉めて◯◯社か

      • no.7 ②回目のネットワークビジネスで成功?そのキモとは?

        ネットワークビジネスに登録する事は即答でOKしたものの、本当にお金がかからないのか?疑心暗鬼だった私。 不安で再度確認をすると・・・ 『お金は私が出すから大丈夫』 『タダでサプリ飲ませてあげるから』とAさん。 《っえ?サプリなんて別に要らないけど?》 そぅ言いたいところだったが、とにかくお店によく来てくれるお客様でもあったので心の中に閉じ込め、もう一生関わらないと思っていたネットワークビジネスに登録。 これが後の私の第2のネットワークビジネス人生のスタートとなった

        • no.6 水商売を卒業して焼肉屋をスタート

          そぅ私はいつも遅すぎるデビュー。この時46歳 トータル約17年と長い間夜職に就いていたものの、自分のお店を持とうと思った事はない。 何故なら、基本お酒が得意でない私。 そして女の世界の大変さやイヤなところを沢山見て来たからだ。 仲良かったからお金を貸してあげたコが飛んでおきながら、新しいお店に引っ張ろうと営業かけた私のお客様にナント!私がお金を返してくれないと言っていたと聞いた時は、目がテン! 豆鉄砲くらった鳩状態だった・・・クルックーー🎵 また、突然部屋に遊びに来た

          no.5 ネットワークビジネスでド貧乏、そこからの再起

          ア◯ムを始め数社からの借金は300万円ほどになり、お金がどうにもこうにも回らなくなって辞めた私。 一旗あげるつもりだったのに・・・ 母に申し訳ない気持ちで一杯だった。何故なら、大学時代、父が癌で亡くなった後も変わらず十分な仕送りをしてもらい、母のアドバイスがきっかけで憧れのマスコミ業界に就職出来て、母も天国の父もやっと安心しただろうに、今度はネットワークビジネスにハマり勝手に退職して挙げ句のはて借金まみれ。 2日に一度東京に通う事も無くなり分かってたと思うが、母は聞いて来る

          no.5 ネットワークビジネスでド貧乏、そこからの再起

          no.4 ネットワークビジネスで100万ゲット!からの奈落の底

          花咲会の仲間入りをした私は、まずMBSというセミナーに参加する為に会場である千代田区の九段会館に向かった。 何やらエンジ色のブレザーを着たスタッフとおぼしき人が目立つ目立つ! のちに、このブレザーにたまらなく憧れるおバカな私が居るのだが。 1万円のバカ高い研修費を払い着席。今なら絶対に行かない😂 時間になり始まった会長のものすごいパワフルな熱弁に圧倒されまくる私。 なんとこの会長は昔、社会問題にもなったバブルスターのトップリーダーだった。 マルチの人たちはずっとマルチ

          no.4 ネットワークビジネスで100万ゲット!からの奈落の底

          no.3 就職はFM局

          思わずレイジー・ネバーランドの事を書きすぎてしまった感があるので、戻して大学時代とOL時代の話しをしたいと思う。 とにかく遊びたくて・・・ ファニーに会いたくて進学は東京しか考えていなかった。 あんなに追っかけまみれで遊んでたぶっ飛び高校生活だったのに、かなり優秀な有名私立大に入ってしまった私。 地頭がいいのか?運がいいのか?そぅ、試験は全問マークシート。 うん、やっぱり運が良かっただけなのかも。 運も実力のうち・・・そぅ思う事にしよう😂 ただ入学後は、学部で下から10本

          no.3 就職はFM局

          no.2 幼少期の私

          父は事業をしている家庭で甘やかされて育ち、せっかく入った京大も中退。 なんと勿体なかった事か!ぶっ飛び道楽息子過ぎる! そんな父と結婚した母は、これまた特殊な経歴の持ち主、ぶっ飛んでいる。 裕福な家庭を捨てて駆け落ちした祖父と、そこまで祖父を夢中にさせた祖母の間に生まれ、電電公社(現在のNTT)に勤務後、ぶっ飛び道楽息子と結婚したのだから。 そのぶっ飛びファンキーな両親のもとに長女として私はやって来たのだった。 私が生まれる前は両親2人、相続した物件でお店を経営していた

          no.2 幼少期の私

          no.1 プロローグ

          私はネットワークビジネスで何度か月収100万円以上獲った経験のある還暦女。 そこそこ余裕のある家庭の長女として生まれ、自由に育てられ、中2から当時大人気だったアイドルバンド『LAZY』にハマり、部活もせず彼氏が出来ても“ファニーのほうが好き”と言って別れる始末。 追っかけで全国を駆け回ったけど、今、考えるととんでもないw ファニーが原因でフラレてしまった当時の彼にしてみれば、お口ポカーン状態だったに違いない。今となれば申し訳なく思っている。 追っかけばかりしていたにもかか

          no.1 プロローグ