オードリー東京ドームライブに何を思っていたのか

今日、徐にTwitterを開いたらトレンドに『若林さん』と書いてあった。
「なんだろう?」と思って押してみると、若林さんが書いたnoteのリンクについての感想がたくさん書かれてあった。

先日、有料公開していた記事を無料で公開されたらしく、それをみてたくさんの人がツイートをしていた。

タイトルは『お詫び』
それを見て『自分が何を思っていたか』に気づいた。

この記事を書いている私も俗にいう『リトルトゥース』の一人だと思っている。
オードリーの二人のラジオは自身の成長の傍にいつもあった。
朝仕事に行く時、仕事中のBGM、帰り道、寝るときの睡眠BGMとして。
同居人に「どうかしてるよ」と笑われるようなこともあった。

それくらい好きだったラジオを今は聴いていない。
身勝手な言い方をすれば「聴けていない」。
あの日から。

あの日とは、2024年2月18日のドームライブのチケットの最終で買えなかった日。
あんなに好きだった、狂うほど聴いていたものも、驚くほどきっぱり生活から無くなった。
しかも、今日の件のツイートを見て同居人に「こういうのがあった」と見せた時に、同居人が「そういえば最近全く聴いてなくない?」と言ったことで、はたと思い出した感覚だ。

強い意志で拒絶してた訳ではなく、逃避のようなまるで透明人間に対して、または記憶喪失のようにぽっかりと抜けた感覚だった。

そんな状態だったから、その記事も怖くて読みづらかったけど、これは見ないと。と思ってnoteを恐る恐るみてみた。

書いてある内容を一度読み思ったのは『そうじゃない』。
勢いで読んでしまったかもしれないと思いもう一度読み返してみた。
そして思った『そうじゃないんです』。

これは、若林さんの書いてある内容を否定するような思いではなく、
自分があの日から”何を思っていたか”に気づいたことによる言葉。

ここからしばらくの文章は、私が一方的で独断的な解釈をした内容だけど、
オードリーの二人と付け焼き刃の人たちに伝えたい些細なこと考えです。

今回のnoteでの謝罪や運営側のリアクションは主に、Twitterなどや本人へ直接的に送ったメッセージなどに対するものに感じました。
ここで言いたいのは『Twitterに書く人や本人に伝える人はほとんどが極端な人であり、少数派だ』ということ。
特に、Twitterで意見を書く人はいいことを書いてある人も悪いことを書いてある人もどこか盲信している極端な人が多いと思っている。
本当はその人たち以上に、同じような思いはしているが「SNSには書けない」「人にも思いをぶつけられない」といって、自分の内側に感情を押しとどめたり、見ないふりをしてバランスを取っている人がたくさんいます。

だからこそ、表面的な極端な人に対してのリアクションや行動があまり意味をなしてないように感じてしまう。そして、謝罪をされたことが無意味に感じて申し訳なさと、悲しさが込み上げてくる。

そして、そういう人たちに対してリアクションをしてしまうと始まるのが『断絶』。
ネット上で始まる「○○○じゃない人はリトルトゥースである・ない論争」。
これが一番嫌いだけど、SNS上で発言する人は、陰陽どちらかに極端な人だから。

その中で思ったのが『そうじゃない』という気持ち。

今回のことでネガティブな感情を持った人、ポジティブな気持ちで本心を隠している人が思っていることは、「怒り」や「悲しみ」ではなくて

「不安」

だと思います。
本人たちはそう思っていなくとも、こちら側が感じる「好きなものに拒絶された」孤独感。取り残される感覚。

そういう人が救われる言葉は「謝罪」ではなく「希望」です。

「今回のライブは次があります」

その一言で安心できるし、暗闇の中にある心に光が見えます。

東京2020だって2021年にやったし、15周年ライブを翌年にプチライブとして、各地で小さくたくさんやる、みたいなのも勝手にいいのでは?と思ってます。それぞれの日付は違っても一人でも「15周年ライブに参加した人」を増やす。

もちろん、そんなことをすると今回の東京ドームライブの価値が下がる!
という人もいるかと思います。
本人たちが思い描くリトルトゥース像が、そういう「価値が下がる」と捉えるひとなのか「いい機会、たくさんの人に感じてほしい」と思う人なのか、どっちが嬉しいのか。

今は、ライブの内容を考えることで大変だとは思います。
でも謝罪をするだけで、考えることをやめるのだけは防いでほしい。
ネット上で発言している2割へのリアクションで安心して8割を見逃さないでほしい。見捨てないでほしい。
本番も近いし、楽になりたいような気持ちもあるかもしれませんが、おそらく多くの人を救う結果には至ってないはず。

SNS上にある
「ありがとうございます!頑張れます!」
みたいな声は、事実ではあるが真実ではないはず。
私と同じように考えている人がきっとそれの数十倍・数百倍いるはず。
その人たちを見逃さないでほしい。
たった数百、数千のリプライやリツイートで安心して「はい終わり!もう準備あるんで!」とはしないでほしい。

何度も言いたい、必要なのは「謝罪」でもなく「意気込み」でもなく
『次がある』という未来を示すもの。

大変な作業をしている時にこれをいうことは重ね重ね失礼なことかもしれない。
申し訳ないです。でもその一言で10万人が救えるとしたら。

同じことを言ってますね。でもそれだけ強く感じました。

『自分が何を思っていたのか』

目の前の東京ドームライブが終わりとなるのか、その先があるのか。
終わるのが怖い今は、落選の日に止まった時間を動かすのは怖い。

でも、それぐらい好きだったんだな。とも思った。

若林さんのnoteをみて、
こういう文章みたいなの書いたことなかったけど、自分の心の中を書き出すことは大切だと思って書きました。

最後まで見ていただいた方はありがとうございます。
当日、現地・ライブビューイングを楽しまれる方は全力で楽しんでください。
オードリーのお二人、付け焼き刃の方々、ライブ関係の方々、お身体を大事にされつつ頑張ってください。

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