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条件付き人見知りの私

日曜日の朝、職場のメンバーとゴルフの打ちっぱなしに行った。そこである気づきがあった。



やっぱり、俺人見知りなんだよなぁ



生粋ではないにせよ、人見知りだと自覚している。ただ、そのことを私を知っている人に話しても誰も信じてくれない。寧ろ否定されるぐらいである。


確かに、私自身自分の行動を振り返るとこの主張が否定されても仕方ないと思う節がある。

HUB(ブリティッシュバー)で外国人に腕相撲を挑み、テキーラを13杯飲んで、家のリビングでションベンするような奴に人見知りなんていないのだろう笑

ただ、これに関しては酒が強力な味方をしてくれているからだと言い訳させてほしい。



では何故人見知りだと主張するか、ゴルフの練習中に居心地の悪さが襲ってきた。

職場のメンバーで最近ゴルフを始めた女性2人に対して、普段なら普通に話せるのにどう話していいか分からなくなったのだ。


他の男性メンバーは自然と彼女たちの打席に行き、ゴルフクラブを持ってクラブの軌道を説明したり、隣で身体の動きを見せたりしているのだ。私はというと、自身の打席で打っていていいのか分からず、とりあえず彼女たちの打席に近づく。打つ姿を後ろから見つめるもなんと声をかけていいかわからない。軽いストーカーみたいになっていたかもしれない笑。アドバイスするだけなのに、なんか人見知りみたいになって、声をかけてもしどろもどろ。


その状況に耐えられず、行きたくもないトイレに逃げ込んだ。個室に入って、便座に腰掛ける。どこかでこの感覚に似た経験をしたことがある。自身の記憶を辿る。



蘇ってきた記憶は、個人営業してた頃の"異業種交流会"での名刺交換だった。
軽食が振る舞われ、各自好きに名刺交換をしてくださいというスタイルの交流会で約2時間あった。見込み客発見を兼ねて、何度か参加したことがあったが、開始30分を経つと私は大概トイレに篭っていた。そして、開始1時間ぐらいで「次の予定がある」と理由をつけてその会場を後にするのが常であった。


その時と同じ感覚、感情だった。
まさか普段一緒に働いているメンバーにもこのような気持ちを抱くってなんなんだろうと考えを巡らせた。


一つの仮説を立てた。
私は「ご自由にどうぞ」という状況で、自ら声をかける環境だと"人見知り"になってしまうのかもしれない。


友人から誘われた数十名参加のパーティーでもそうだった。友人は幹事のため、私は1人での参加だった。受付で気を遣って友人が別の知り合いの方を紹介してくれた。ただ、そのパーティーは席が自由だったため、その方たちと何故か離れた席に私は避けるように座ってしまったのだ。
「この人たちとパーティーを過ごすんだよ」と決められたわけじゃないのに、いけしゃあしゃあと同じテーブルを囲むなんてできないとどこかで思ってしまったのだ。



「ご自由にどうぞ」はホントにやめて欲しい。


この人(たち)と話してください、楽しんでくださいと決めてほしい。レールを敷いてほしい。



私は"浮遊する空間、自由な関係性"だとどう話しかけていいのか分からなくなるようだ。


名刺交換では、「この人(相手)は私以外とも話したいはずだ。時間を取ってはいけない、早く話を切り上げないと!」と。
パーティーでは、「この人(相手)は私以外と話したいはすだ。同じテーブルに座ってはいけない。先に自分が座れば、後から来る人と話せばいい」と。
ゴルフ合同練習では、「この人(相手)は私以外から教わった方が成長するはずだ。聞かれたら答えよう、教えよう」と。


"俺じゃなくてもいい"が顔を覗かせる。
自信のなさも相まって、自然なコミュニケーションが取れず、人見知りっぽくなってしまう。


改めて、言おう。


俺は人見知りなんだよなぁ…


ただ、条件付きの人見知り。
「ご自由にどうぞ」の環境下での人見知り。


だから、俺は少人数のコミュニケーションを好むのかもしれない。


「この人は自分のために時間を取ってくれている」という安心感があるから。
その安心感が、私の心を、口を開かせて人見知りから解放してくれるのだ。

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