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疲れた時にエッセイを読む幸せ

スマホの画面がいつもより眩しい。日中のPC作業で目を酷使したそんな日の夜は、noteを読むのも少しだけ億劫になる。

仕事は激務だった。昨今のホテル業界は暇だと思われがちだが、その分、出勤日数や人数を減らしている。残業なんてもってのほかだ。特に裏方、いわゆる管理部門はいっそう厳しい。つまるところ、出勤日にはやることが山積みの状態だ。

今日もせっせと働いたわけだけど、その代償が目にきた。すぐに眠ってしまいたい一方で、頭の中はまだ仕事モード。できるならリラックスして、心地よい気分で眠りにつきたい。



そんなときはいつも、本を少しだけ読むことにしている。



読むのは電子書籍じゃなく紙の本。できればハードカバー。そしてビジネス書や長編小説じゃなく、エッセイを手に取ることが多い。


エッセイの好きなところは、「この人と同じ世界で生きてるんだな」と思えること。文字になっている出来事は当然、リアルタイムで起きているわけじゃないんだけど、なぜかすごく安心できる。こんな経験をした人が今もどこかで暮らしているんだなと思えるだけで、自分は孤独じゃないんだと元気をもらえる。


今読んでいるのは、燃え殻さんの『すべて忘れてしまうから』

この日読んだのは、「映画館の席は必ず端に座ることにしている」の3ページで、一言で言うと頻尿のはなしだ(雑な言い方だがほんとに最初から最後まで頻尿のはなしだ)。

できれば僕だって途中でトイレに立ちたくないので、我慢に我慢を重ねる。重ねた結果、一番のクライマックス近くでこちらの膀胱もクライマックスを迎え、一番大事なシーンでトイレに立つことになる。


思わずクスッと笑ってしまう。するとその瞬間、すごく幸せな気持ちになる。さっきまで仕事のことしか考えていなかったのに、今じゃ頻尿のことを考えている。同じ世界のどこかでこんな人が生きているんだなと思うと、なぜかすごく安心できる。

誤解のないように言っておくと、もちろん頻尿じゃなくて良かったという安心感じゃない。うまく言えないけど、ぼくの日常だって誰かを安心させたり、幸せな気持ちにできるんじゃないかと思えてくる。そうすると、憂鬱な明日だって、「何かおもしろいことを見つけてやろう」と思える。


疲れたときこそ、エッセイを読みたい。そして、エッセイを読んで幸せを感じる人と繋がりたい。


最近、ますますエッセイが好きになってきた。


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ともきち|165cmのホテルマン
毎月引き落とし明細に「note 100円」という文字が3スクロール分くらい並んでいて震えます。サポートいただけると震えが少しおさまります。いただいたサポートは誰かの震えを止める為に使いたいと思います。いつもありがとうございます!