No.15 山 2023年11月
「山のあなたの空遠く 『幸い』住むと人のいふ。 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。 山のあなたになほ遠く 『幸い』住むと人のいふ」 ドイツの詩人カール・ブッセの詩、上田敏の名訳(1905年 海潮音に掲載)です。「山の遠くの彼方に行けば幸福が住むと聞き、大切な人と一緒に幸福を探しに行ってみたが、どうしても見つからず、涙を浮かべて帰ってきた。求める幸福は山のもっと遠い向こうにあると人は言うのだ」これに対し、「幸福はどこにあるのか」を問う同じ欧州の童話「青い鳥」では、「青い鳥」を森の中や山の中などあちこち探し回るが、最後、自分の家の中、すぐ身近にいたことに気づきます。 西洋哲学的には、幸福は、探すもの、見つけるものであり、能動的・意志的に築くもの・獲得するものであります。 東洋哲学的には、幸福は、「空(くう)の中にあり」多くを求めないこと、「足るを知る」ことにあるのです。私達「stray sheep」であるミドル/シニアは、その狭間にあって益々混迷し、「不惑」とは程遠い状態に置かれるのです。 なぜなら、10代20代ならば、能動的幸福は身近であり、70代80代ならば持たざる幸福が近しく自明かもしれませんが、30代~60代は、徳川家康が言う「人の一生は荷物を負うて遠き道を行くがごとし」のとおり、膨れあがった様々な重荷を抱いて歩く道半ばのど真ん中の状況なのですから。
私は学生時代に登山にはまり、山歩きを今まで重ねてきました。最近もぼちぼちと深田久弥の「日本百名山」をたどっていますが、日本ほど、登山をするシニアが多い国はないと思います。 「なぜ山に登るのか?」との問いにエベレスト初登頂を狙った英国登山家のジョージ・マロリーが「そこに山があるからだ」と答えた話は有名ですが、山好きの一人である私が思うに、山登りの尽きせぬ魅力は、西洋的な幸福感と東洋的な幸福感の味わいを併せ持っているからです。 重い荷物を背負い、わざわざ苦行を重ねながら、自己実現的達成感を目指す、そしてその先には、自分を空にしたような非日常的時間と空間を体感し、大自然の中で、自分という存在の矮小さと、人間を超えた存在を感じるのです。そうやって考えてみると、あらためて日本人ミドル/シニアの幸福への道程に光が差して来る気がします。
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